秋葉原日記 (ライブラリ)

今年の1枚

 本欄『秋葉原日記』は、当日の日記に写真1枚を必ず添付している。
 こういうこともあって、カメラは毎日持ち歩いているし、写真もほぼ毎日撮影している。
 今年もたくさんの写真を撮影した。その枚数は数千枚に上るのではないか。大きな取材なら一度に百枚2百枚にもなるし。
 この中から今年の1枚というものを選んでみた。
 このため、今年の日記を改めて振り返ってみた。大震災があった。今年も随分とあちこちへ旅行した。たくさんの花も撮影した。
 いずれにしても写真は取材が目的。もちろんいい写真を撮ろうと心掛けてはいるが、必ずしもそれが創造性の高い写真になることを想定してはない。
 それに、写真は好きだが、趣味というほどのものでもないし、まあ、得意ではあるだろうが、それも一般の人に比べればという程度のもの。ただ、少しでもいい写真を撮ろうとたくさん歩き回る。そのことは厭わない。そのフットワークは多少は自分の持ち味かとは思うが。
 さて、今年の1枚。
 これは実際のところ選定に苦労した。しかし、写真の出来具合よりも、やはり今年はテーマで選べば大震災だろうとは思っていた。
 これも春と夏と2度被災地に入っていたからたくさんの写真はある。衝撃的なものも少なくない。
 しかし、選んだのは、三陸鉄道田老駅のホームを撮影したもの。
 春に田老を訪れた際、その壊滅した状況を見て言葉を失った。高さ10メートルの防潮堤が二重に張り巡らされた街なのだが、大津波はそれをも乗り越えて街をのみつくした。街はまるで焦土と化していたし、そこには呆然とたたずむ人がいた。
 丘の上を走っている鉄道は被害が小さかった。だから、このあたりは復旧も早かった。しかし、ホームからわずか数メートル下にある駅舎は破壊されていた。明と暗をわずかの差で分ける津波の怖さである。
 ホームにあがると、津波にやられた田老の街が一望できた。
 そして、このホームの柱に、活けた花かごがつるされていた。誰が供えたものであろうか。家は流され、多くの尊い命を失った、こんな時にでもやさしさを忘れない、その田老の人々の心情を思うと涙がとまらなかった。
 三陸鉄道は、宮古‐小本間は高台を走っていたから被害は小さく、いち早く復旧していた。この日も、「復興支援列車」と表示された列車が運行されていた。
 鉄道が運行されているというのは、人と物を運ぶという物理的な効果はもちろん、いつもの通りに列車が走っていること自体が街に暮らす人々の情緒を安定させているようだったし、大きな支援となっていることと思われた。
 その意味の重要さを感じた人があの花かごをホームに掲げたのかも知れないと思われたし、その人は絶望の中で明日への希望を託したのでもあろう。
 そして、これは必ずしもベストショットというわけではないが、震災に遭われた人々に思いを致すとき、これが自分にとって最も印象深い1枚ということで選んだのだった。

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(今年の1枚)

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