昨日まで泊まりがけで岐阜市に出張だった。
岐阜市への出張自体はこれまでにも数度あり必ずしも珍しことではないのだが、宿泊を伴うことは大変少なくて、これがわずかに2回目。岐阜は名古屋に近いから、岐阜に泊まる必然性でもない限り、一般的にはどうしても宿泊は名古屋に取ることが多い。このたびは当地で1泊掛かりの会議が設定されていた。
岐阜へは名古屋からJRの普通電車でやってきた。快速でわずかに18分だからやはり近い。
岐阜‐名古屋間はかつては名鉄の独壇場だったのだが、並行するJRが近郊区間の強化を行ってだいぶシェアを稼いだ。所要時間もわずかだがJRの方が短い。
岐阜市はもとより岐阜県の県庁所在地。というよりも、戦国時代以来、斎藤道三から織田信長へと美濃の中心として栄えてきた。
利用したホテルが金華山の麓に位置し、長良川に面していて風光明媚だしロケーションがとてもいい。
金華山は戦国時代には稲葉山と呼ばれていたところで、標高329メートルの頂上には岐阜城の天守閣がそびえている。東海道線を下ってくると、この山上の天守閣がはるか手前から遠望できた。麓からは頂上のすぐ手前までロープウエイで結ばれている。
天守閣からの眺望は実に素晴らしくて、美濃から尾張まで一望にできた。
東南に木曽川を視認でき、足下を西南に長良川が流れている。岐阜はこの二つの大河の流域に発達したことが手に取るようにわかる。
いかに山城とはいえ、なぜにこれほどの山上にお城を築いたのかといぶかしくもなるが、信長の館などは麓に築かれていたらしい。その信長の館の遺構が発見されたといってちょうど発掘調査が行われていた。なお、信長は麓から天守閣まで馬で駆け上がったらしい。
遠く四方から遠望できるこの稲葉山の山頂に天守閣を築いたは、信長としては国元を睥睨しつつも「天下布武」の威光を知らしめる効果をねらったのではないか、天守閣からはそのように感じられたのだった。
なお、泊まったホテルは十八楼といって創業150年になるなかなかの老舗旅館だった。
清流長良川に面していて、これが鵜飼いのシーズンであったならば相当のにぎわいだろうと思われた。
また、この旅館のあたりは川原町というのだそうで、やはり戦国時代から舟運で開けたといい、紙や木材などの問屋の家並みがいまに残されていてなかなか風情のあるものだった。
(岐阜城天守閣から眺望した岐阜市街。中心は長良川)
A5判
314頁
ISBN:978-4-88318-560-3
価格:2,640円(本体価格:2,400円)
A4
138
ISBN978-4-88318-063-9
価格:2,200円(本体価格:2,000円)
溶接学会 溶接法研究委員会
B5判
258頁
ISBN:978-4-88318-060-8
価格:13,200円(本体価格:12,000円)