秋葉原日記 (ライブラリ)

三浦しをん『舟を編む』

 舟とは辞書のこと。言葉という大海原を航海するための舟ということ。その舟を編むとは辞書を編纂するということ。
 本書では、その国語辞典の編纂に悪戦苦闘しながらも海を渡るにふさわしい舟を編もうと情熱を傾ける者たちの姿が生き生きと描かれている。
 舞台は、大手総合出版社玄武書房辞書編集部。
 登場するのは、辞書に人生を捧げてきたような二人。一人は監修者で元大学教授の松本先生。もう一人が定年間近のベテラン編集者荒木公平。それに辞書編集よりも営業が似つかわしいような西岡。契約社員の佐々木さんは40歳前半、実務能力はきわめて高く辞書編集部にはなくてはならない女性。
 そこに荒木の後任として引っ張り込まれてきたのが馬締光也。院卒、入社3年目の27歳。「辞書の編集作業は、ほかの単行本や雑誌とはちがう。大変特殊な世界です。気長で、細かい作業を厭わず、言葉に耽溺し、しかし溺れきらず広い視野を併せ持つ若者」という松本先生の眼鏡にかなう辞書づくりの申し子みたいな人物。主人公である。
 松本先生と荒木は新しい辞書の企画を練っており、馬締を得ていよいよ具体的な編纂に着手することに。
 辞書名は『大渡海』とすでに松本先生と荒木が決めている。コンセプトとしては見出し語の数を約23万語とし、『広辞苑』や『大辞林』と同程度の規模の中型国語辞典とすること。編集方針としてはことわざや専門用語、固有名詞もなるべく収録し、百科事典としても活用できる辞書にするということに。
 編集者は聞き覚えのない言葉を即座に記録するのが習性で、すぐさま「用例採集カード」に書き込んでいくのが日常活動。
 『大渡海』編纂については会社から基本的な了解は取り付けはあるものの、辞書づくりには莫大な金と膨大な時間がかかる。そこで会社の意向で編纂作業が中断することもたびたび。
 それでも紆余曲折があり遅々としながらも編纂作業は進んでいて、着手から10数年も経てやっと佳境に。
 この間に西岡が営業部に転出し、新たに入社3年目の岸辺みどりが女性向けファッション誌から転入してきた。馬締も主任となり、佐々木さんも50代となっている。
 監修者として生涯をこの『大渡海』編纂に捧げてきた松本先生も高齢となったが、荒木も社外スタッフとして携わっておりいよいよ終盤に。
 登場人物たちの造型もいいし、全編におだやかなユーモアがあってほのぼのと読めたし、一つのものを成し遂げようとするひたむきさが伝わってきて感動をもらった。直木賞作家である著者会心の作であろうし、快作である。
 また、「辞書の原稿は少々特殊だ。雑誌の記事などと違って執筆者の持ち味や文章の個性といったものはあまり尊重されない」「辞書において大切なのは、いかに簡潔に、的確に、見出し語を言葉で説明できているか」ということや「1冊の辞書を作るにのに校正を初校から5校まで5回もやること」などといった辞書づくりのことが具体的でとても興味深かった。
 なお、本書では、固有名詞のみならず読み方が別れるような言葉についてはいちいちルビが振ってあり、きめ細やかな編集に読んでいて感心した。
(光文社刊)

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