秋葉原日記 (ライブラリ)

池澤夏樹『春を恨んだりはしない』

 震災をめぐって考えたことが書かれている。
 池澤は被災地をたびたび訪れ、取材を行ったり、ときにはボランティアとしての活動も行っている。
 その中では、否応なく死者と向き合うこととなり、「これらすべてを忘れないこと。今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。」と鎮魂を発することとなるが、そこには池澤の優しさがにじみ出ている。
 また、「何度行っても思うことだが、被災地は静かだ。」と。そして、「台風や地震の被害はある範囲に広がって境界線というものもないが、津波はそれがはっきりしている。全損、床上浸水、床下浸水、被害なし。どの間も一本の線で区分されるところが被害者にとっては過酷だと思う。生と死もまた同じで、もう一メートル上まで登っていたら助かったのにという例も少なくなかったはずだ。」とも。
 書名の、春を恨んだりしない、はヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」からの引用。
 その詩は、またやって来たからといって/春を恨んだりはしない…というもので、転じて古歌の「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」を連想していて、桜の華やかさは弔意の春にはそぐわないとしながら、「春を恨んでもいいのだろう。…来年の春、我々はまた桜に話しかけるはずだ。もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。」とも。
 原発に関する池澤の意見ははっきりしている。原発は人災だと断言した後で「結論を先に言えば、原子力は人間の手に負えないのだ。」といい、「原子力は原理的に安全でないのだ」とも。そこで、「昔、原子力というものがあった」という方向にしようと主張している。
 池澤は、現代日本を代表する知識人の一人だろう。そして作家である池澤がこのたびの大震災とどのように向き合い、どのように考えたのかは非常なる興味のあるところ。
 池澤自身、「ぼくは震災の全体像を描きたかった。自然の脅威から、社会の非力を経て、一人一人の被災者の悲嘆、支援に奔走する人たちの努力などの全部を書きたかった」と述べている。
 他方、「三月十一日以来、いろいろなことを考えている。あまりに多くの考えが湧いてきて収拾がつかなくなっている。今になってもまだ瓦礫の原をさ迷うような混乱状態。」とも述べている。
 実際、本書は成功しているのだろうか。文学的情緒と物理的原理との狭間で様々に揺れ動いているのである。これは池澤にしてはかつてないこと。無常観もにじみ出ていてこれはこれでうなずくところもあるのだが…。もっとも、このあたりのことを良い方に受け止めればそれはそれで本書の味わいというものだろうが。
 池澤は、『楽しい週末』で原発の危険を書き、自然と人間の関係については『母なる自然のおっぱい』があり、ボランティアについては『タマリンドの木』、天災に関しては『真昼のプリニウス』などとあって、「つまりぼくはこの震災を機にこれまでに考えてきたことをもう一度改めて考えたのだ。」としているが、果たしてそのもくろみは成し遂げられたのだろうか。
 池澤にして、このたびの東日本大震災に直面してはまだまだ抱えきれないものを押しつけられたというべきであろう。
(中央公論新社刊)
haruwourandarishinai.jpg


バックナンバーへ

お勧めの書籍