秋葉原日記 (ライブラリ)

佐多岬

 先週は宮崎へ出張だった。当地で会議があったためだが、宮崎へ来る機会は少なくてこれが5度目ほどか。随分と久しぶりだった。
 宮崎出張の帰途は大隅半島の最南端、佐多岬を訪ねた。
 宮崎から岬を訪ねるならば、日南海岸の都井岬も捨てがたく、実際、どちらの岬も甲乙つけがたいほどに魅力的なのだが今回は鹿児島県の佐多岬にしたのだった。
 佐多岬へはまずは日南線で志布志へ。日南海岸を南下する路線だが、9月23日秋分の日、この日は台風一過の秋晴れで、車窓にはすがすがしい青空に紺碧の海が広がっていた。
 途中、内海に至って左窓に日向灘が現れ、ほどなく鬼の洗濯岩が見えた。列車は油津で乗り継ぎ。さらに串間は都井岬への最寄り駅。都井岬には20年ほど前一度来たことがあるのだが、その折にはこの串間から岬へバスが出ていた。現在は廃止されたらしいし、岬のホテルも廃業してしまったらしい。
 ところで、宮崎から列車で一緒になった80年配のおばあさん。どこへ行くのかと尋ねる。佐多岬へと答える。何しに。ただぶらりと。いかにも物好きとばかりに不思議そうな顔をする。で、汽車に乗って岬を訪ねるのが好きなのだと。そうしたら、佐多岬はいかにも遠いし何もない。岬なら都井岬がいい、きれいなところだし馬もいる、是非そうしなさいと薦める。このおばあさんは串間で下車したのだがまるで袖を引っ張らんばかりだった。結局はそうはならずそのまま乗り続けた。しかし、確かに都井岬にするか佐多岬にするかは悩んだところではあったのだが。
 串間を出て志布志湾が見えてきた。美しく大きな湾だ。
 志布志10時06分定刻着。宮崎発が6時49分だったから、3時間17分もの乗車。この駅に降り立つのは1990年9月22日以来21年ぶりだが、駅前は何も変わっていないようだった。かつては、志布志から西都城へ志布志線、国分へ大隅線が出ていたが、両線ともに廃線となっている。
 志布志からは手配しておいたレンタカーで岬へと向かった。10時15分出発。
 大隅半島は大きな半島で、錦江湾を挟んで薩摩半島とは蟹の二つの鋏のような位置関係となっており、志布志は大隅半島の太平洋側の付け根にあたる。
 志布志からの国道はかつての大隅線と並行しているようで、串良、鹿屋などと通る。
 鹿屋を過ぎてほどなく海岸に出た。錦江湾で、右手後方に噴煙を上げる桜島がくっきりと見えた。想像以上に近い距離に見え、鹿児島市街から見るのとはまた違った風情があった。
 11時30分頃根占通過。薩摩半島の南端開聞岳が見えてきた。まるで洋上に浮かんでいるようで、富士山のようなシルエットが美しい。かつて初めて佐多岬を訪れた際には、薩摩半島の山川港からフェリーでこの根占港に渡ったのだった。
 佐多の集落からは山中へと分け入り岬へと登攀にかかる。佐多岬ロードパークにかかると岬はもうすぐだ。この岬への取り付け道路はかつては有料道路だったが、現在は管理するものもいなくて無料となったようだ。
 途中、北緯31度線の標識があった。それによると、ここはニューデリー、ニューオーリンズ、カイロ、カラチ、上海などと同緯度度らしい。
 ロードパークの行き止まりに駐車場があった。ここまで志布志からちょうど2時間の道のり。ここからは徒歩で岬へと向かう。ヤシやシュロ、ガジュマルなどといかにも南国の樹林で、まるで密林のような趣だ。
 約10分ほどでいきなり眼前が明るく開けた。「本土最南端佐多岬」の標柱が立っている。座標は北緯30度59分10秒、東経130度39分42秒である。
 さらに展望台に登るとすばらしい眺望で、左右遮るものとてない。両手をいっぱいに伸ばして足りないから270度もの広がりだ。
 右に東シナ海、左に太平洋が広がっている。灯台はすぐ目の前の小島に設けられている。岬の突端から小さな島が点々としているのだが徒歩では渡れない。
 海上に目を向けると、右端が開聞岳で、正面にむくむくと噴煙を上げている島が見える。これが活火山の島、硫黄島である。八の字のようなごつごつした山容だ。左奥には種子島と屋久島も見えた。
 とにかくこの日は快晴で、これほど見通しのきくこともすくないのだろうが、海上を見晴るかすようにどこまでも展望できた。
 この岬に立ったのは1989年10月7日以来ほぼ22年ぶり2度目だが、いつ来ても眺望のすばらしい岬で、岬好きとしてはたまらない魅力に富んでいるのだった。

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(展望台から佐多岬灯台を望む)

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