秋葉原日記 (ライブラリ)

どこまでも続く被災地

 再び三陸の被災地を訪ねた。1日目の8日木曜日は盛岡からレンタカーで田老、宮古、山田、大槌、釜石と巡り、2日目の9日金曜日は釜石から大船渡、陸前高田、気仙沼とひたすら走った。
 宿泊した釜石の街。延長1キロほどあろうか、メインストリートの商店街が軒並み被災したままになっている。建物そのものは残っているのだが、1階部分が津波の被害を受けたのであろう、どの店も閉じたままだ。復興計画のこともあるからであろうか、1軒たりとも建て替えたり改装したりしている様子が見られなかった。
 食堂や居酒屋、寿司屋など店を開いているところもなくて街は暗かった。夕食を取ろうにも、街外れにスーパーが1軒、コンビニが1軒あるということだったが、幸い、ホテルのそばにかろうじて居酒屋の明かりを見つけた。おそらく営業しているのはこの1軒だけだったのではないか、そう思えるほどだった。
 釜石では魚市場も壊滅したが、その岸壁に貨物船が打ち上げられたままとなっていた。なかなか大きな船で、長さは100メートル、高さは14、5メートルもあろうか。船名はAsia Symphonyとあった。これだけ大きな船ともなると片付けることも容易ではないのだろう。
 釜石から大船渡、陸前高田と回ったが、どこがひどいということもない、いずれも深刻な被害状況だった。
 町が根こそぎ津波でやられ壊滅したということでは、田老、山田、大槌、陸前高田がそうであった。跡地には手つかずの茫漠とした風景が広がっているだけだった。
 陸前高田からさらに足を伸ばして岩手県から宮城県へと入り気仙沼を訪れたが、県境を越えても沿岸部を襲った津波の被害は変わらず同じような風景が広がっていた。気仙沼も大きな被害を受けた町の一つだった。
 大船渡線で気仙沼の一つ手前に鹿折唐桑(ししおりからくわ)という駅があったが、そのすぐ駅前に大きな船が横たわっていた。第一八共徳丸と船名にあったが、巻き網漁船だという。330トンというから漁船としては大きな方だろう。気仙沼漁港から500メートルも流されてきたのだという。津波の大きさが知られる。不謹慎かもしれないが、まるでモニュメントだなと感じたのだった。

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(釜石魚市場の岸壁に打ち上げられた大きな貨物船)
 

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