秋葉原日記 (ライブラリ)

再び被災地へ

 昨日から三陸に来ている。被災からどのように復旧・復興しているのか、この目で確かめたかった。
 三陸へは盛岡からレンタカーでやってきた。震災後この地方を訪れるのは5月以来4カ月ぶり2度目で、今回も前回と同じルートをなぞるように走った。
 田老、宮古、山田、船越、大槌、釜石と巡ったが、どこまでも同じような風景が広がっていた。
 がれきはすっかり片付いていた。自動車も転がっていないし、陸に上がった船も撤去されていた。残っているのはビルの鉄骨の柱だけだった。
 4カ月前には、トラックや建設機械など膨大な車両が投入されていたが、今やそれさえも数少ない。そういえば、おびただしいほどの部隊が展開していた自衛隊の姿もない。
 きれいに片付いた現場には草が伸びていることだけが大きな変化で、それだけに妙な静けさがあった。あの頃は茫漠として草木の1本すら目に入らなかったのだった。
 復興の都市計画のこともあって勝手に家を建てるなどできないから手つかずになっているのだろう。ここにどのような新しい町の図面を描こうというのだろうか。50年先、100年後の子孫に評価される町づくりを行わなければならない。
 家を建てる、商店を再開するといっても資金のこともあるから容易ではない。二重債務のこともあるからどうしても及び腰にならざるを得ない。また、人が住んでいないから商売が成り立たないのである。
 ただ、阪神大震災の例では、バラックであっても小さな幟であっても商店が店を開けば、そこから少しずつ街が復活していったという。
 一刻も早い町の復活を祈るばかりだが、いっこうにはかどらない政府の復興への対応には腹立たしい限りだ。野田内閣となって少しは前進するのだろうか。
 一方、けっして高い槌音ではないが、復興に立ち上がっている姿もあちこちで見られた。
 宮古魚市場のすぐそばに鉄工所がある。4カ月前には工場のスレートの壁に「全員無事です」のスプレー文字があるだけで閑散としていたが、今回訪れたら工場が再開されていた。1カ月前から立ち上がったのだという。
 幸い鉄骨の駆体がしっかりしていたので壁を張り替えたとのこと。設備は自分たちで補修した。ただ、水に浸かった溶接機は使い物にならず、新しいものを購入した。
 工場ではボックス柱の溶接が行われていた。従業員が全員無事だったのが幸いだった。
 再建には数千万円の資金が必要だとのこと。110年続いた老舗の鉄工所。「ここでうつぶすわけにはいかない」と4代目社長が笑っていた。津波に負けまいとする気概が感じられた。

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(復旧した宮古の鉄工所)

 

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