秋葉原日記 (ライブラリ)

森沢明夫『虹の岬の喫茶店』

 その喫茶店は、長い上り坂を登りトンネルを抜けてすぐのところを左折、断崖に突き当たるすぐ手前にあった。小さな岬になっていたのだ。
 トンネルを出てすぐのところに看板が立っているから気がつかない人が多いし、気がついても通り過ぎてしまう人も少なくない。看板には「おいしいコーヒーと音楽♪ 岬カフェ ここを左折」と記してある。
 喫茶店は、青いペンキで塗られたいかにも手作りといった風情の小さな木造の建物。
 建物に近づくと白い犬が店へと誘ってくれる。犬は事故にでも遭ったのか右の前足の半分から下がない。
 ドアを押して店内に入ると初老の女性が迎えてくれる。女性にはどこか上品なたたずまいがある。女性の名前は柏木悦子さんという。
 店には大きなガラス窓があり、その窓から見える風景は、とびきりの絵画とでも言いたくなるようなものだった。
 店内には2枚の絵が掲げられており、1枚は虹が描かれている。この店の窓から写生したもののようだ。
 コーヒーを注文すると、柏木さんは客を見てカップを選び、客にあった音楽をかけてくれる。
 この喫茶店を舞台に、6つの珠玉の物語が紡がれている。
 妻を癌でなくした夫と幼い娘には「アメイジング・グレイス」、就活中の学生には「ガールズ・オン・ザ・ビーチ」、泥棒に入ってきた包丁の研ぎ屋には「ザ・プレイヤー」といった具合。
 柏木さんがこんな寂しいところで喫茶店を営んでいるのは、亡くなった画家だった夫との思い出のため。夫が描いた絵にある通りの虹を一度でも見たいというのが念願なのだ。しかし、その願いはかなうこともないように思われるのだが……
 読後感がよくて、読み終えても本を手放したくないようだった。この喫茶店にはモデルがあるのだろうか。もし、実在するようならば是非訪ねてみたいものだが。
 岬は好きでよく訪ね歩いている。日本全図のような大きなスケールの地図に載っているような岬はほとんど踏破した。しかし、この頃の名だたる岬は道路が整備されて観光地化し、岬の風情に浸れるところは少なくなった。
 そんな中で岬と喫茶店ということで思い出深いのは、北海道利尻島のペシ岬か。岬からは礼文島と北海道本島が遠望できるのだが、その岬にたたずむように喫茶店がある。ここは写真家の松井久幸さんがギャラリーを兼ねてやっているのだが、窓辺のテーブルから海を眺めながらおいしいコーヒーをいただいていると旅情がいや増すようだった。
(幻冬舎刊)

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