故宮博物院は、北京と台北と二つある。
もともと、清朝滅亡後、中国歴代王朝が受け継いできた秘宝や精華である文物を収蔵公開する場として北京の紫禁城(故宮)に設けられたものだが、戦時中、日本軍の侵攻に伴う難を逃れて故宮文物は中国各地を転々とした。
戦後も、国共内戦があり、敗走する蒋介石の国民党が、故宮文物の中から精選して台湾に移送したことはよく知られるところで、台北の博物館も故宮博物院と名乗ったところから、この結果、故宮博物院は北京、台北双方に存在することとなった。
この二つの博物院には自分も一再ならず訪れたことがあり、つい先日も台北の故宮博物院を見学して「清明上河図」などを興味深く見てきたばかりだった。
二つの博物院を見た経験で言うと、台北故宮にこそ秀品が多く、博物館としての陳列機能も整っているように思われた。一方、北京故宮は広大だしあまりにも文物の量が多すぎて、素人にはいいものを探すにも骨が折れるという印象だった。
本書では、こうした二つの故宮博物院が生まれた経緯や背景などが詳述されている。
著者は朝日新聞の記者であり、台北にも駐在した経験を持っていて、数奇な運命をたどったといわれる故宮博物院を巡るドラマを追って、北京、台北や東京などで関係者100人にも及ぶインタビュー取材を行ったほか、主要文献を渉猟している。
ただ、本書の特徴は、著者自身が断っているとおり、北京と台北と文物の芸術性や歴史的価値を論じたものでなく、あくまでも政治的外交的存在として故宮博物院をとらえていることだ。
この結果、きわめて興味深いいくつかの論考が提示されている。
一つは、蒋介石がなぜにあそこまで故宮博物院文物にこだわって困難な台湾移送を実行したのかということ。
それは、一言でいえば、歴代王朝がそうであったように、政権後継者としての正統性を主張するために中国の精華である文物に固執したということ。日本流にいえば、それは正当な皇統を意味する「三種の神器」に相当する意味合いを持つものであろうと述べている。
今ひとつは、故宮博物院が発現するものは、連綿として歴代王朝が誇ってきた「中華の優位性」にほかならないということ。
特に興味深かったのは、台湾における国民党と民進党の故宮博物院に対するとらえ方の決定的違いで、中華思想の一環として故宮文物を尊重する国民党に対し、台湾の独立を目指し脱中華を推し進めようという民進党との政治的立ち位置の違いを歴然とさせているということである。
結局、本書は、故宮博物院という世界にも傑出した博物館の運命をたどりながら、「中華」とは何かということに切り込んだものだと言え、中国と台湾という二つのアイデンティティを論じている。
(新潮選書)
A5判
314頁
ISBN:978-4-88318-560-3
価格:2,640円(本体価格:2,400円)
A4
138
ISBN978-4-88318-063-9
価格:2,200円(本体価格:2,000円)
溶接学会 溶接法研究委員会
B5判
258頁
ISBN:978-4-88318-060-8
価格:13,200円(本体価格:12,000円)