秋葉原日記 (ライブラリ)

浅田次郎『終わらざる夏』(上・下)

 戦争末期、8月15日の玉音放送まであと1ヶ月というときに、岩手県出身の3人に臨時招集の赤紙が届く。
 1人目は片岡直哉。盛岡中学で卒業生総代をやった秀才で、東京外国語学校を卒業し、東京の出版社で英語の翻訳書の出版を手がけている。度の強いうらなりの丙種合格者で、しかも招集年限の45歳まであと1ヶ月というところでの応召だった。
 2人目は菊池忠彦。盛岡中学から岩手医専を卒業後東京の帝大に進学していたところへの応召だった。彼も身長152センチ未満にぶ厚い眼鏡という丙種ぎりぎりの25歳。
 3人目は富永熊男38歳。鬼熊の異名をととり金鵄勲章に輝くほどの歴戦の勇士。輜重兵軍曹。右手指3本を欠落し名誉の予備役中のところを盛岡にいて応召された。
 3人はいわば来るはずのない赤紙をもらったわけだが、3人に共通しているのはそれぞれに特殊な技能を有していること。片岡は英語堪能であり、菊池は医師、鬼熊は自動車の運転と整備に精通していた。
 急遽応召された3人が向かった任地は占守島(シュムシュ島)。根室から2千キロの洋上、千島列島の東北端に位置し、対岸のカムチャッカ半島ロパトカ岬からはわずか12キロと指呼の間にある。
 アリューシャン列島のアッツ島が玉砕、米軍が千島列島を渡って本土へ侵攻してくると読んだ大本営は、守備隊として北辺の幌筵島(パラムシル島)、占守島に第九十一師団を投入していた。
 このうち占守島には、戦車第十一聯隊を含め1個旅団1万3千の精兵が送り込まれていた。
 戦車第十一聯隊は満州から転用された関東軍の精鋭で、40両もの戦車を擁していた。しかも将校のほとんどは陸士出であり、下士官は満ソ国境の守備にあたった関東軍の勇士で、兵すらも若い現役兵という精兵揃いで、いわば職業軍人の集団。すでに満足な兵団を組めていなかったこの時期にあっては希有な存在だった。
 つまり、高度に錬成された帝国陸軍が、しかも1会戦半を戦い抜けるほどの弾薬と資材、食料を持ったまま無傷で残され、遊軍となってしまっていたのだった。
しかし、米軍はすでに沖縄から本土上陸を目指していたし、広島、長崎への新型爆弾投下を機にポツダム宣言受諾を余儀なくされていた。
 札幌の第五方面軍では、幌筵島と占有島の軍隊をいかに粛々と終戦に導くかということになり、このため参謀吉江恒三少佐が現地へ派遣されていた。
 侵攻してくる米軍相手にいかに終戦交渉を進めるか、その際、米英語通訳の必要性が高まり、そこで片岡の招集が図られたというわけだったのである。
 8月15日の玉音放送を聴いて終戦と知った現地軍は、武装解除に向けて米軍が上陸してくるものと思っていた矢先、カムチャッカ半島のロパトカ岬から突如砲撃を受ける。ソ連軍の侵攻が始まったのである。
 物語は、主人公の片岡、菊池、鬼熊とその家族を中心に吉江参謀、さらに戦車聯隊の大屋准尉、中村兵長など魅力的な人物が絡まって重層的に展開する。
 この小説は取材を重ねて史実を追って構築されたものであろうが、すべての物語が占守島へと収斂されていく過程でいくつものテーマが提示される。
 戦時下、物言わぬ庶民の理性。軍部の無謀な戦略。戦争も戦地すらも知らない高級参謀たち。千島列島の帰属と領土問題。祖国への愛。
 終戦と知りながら執拗に挑発するソ連軍。反撃せざるを得なくなった日本軍。日ソ不可侵条約を一方的に破棄してのどさくさ紛れの参戦だったソ連軍の野望。結果的には日本側戦死者1千名に対しソ連側3千名。
 この日本人にも知られることの少ない戦闘についてわざわざソ連側将校の戦闘詳報を引用して客観性を持たせている。
 しかし、ソ連側の言いぐさは日本軍の一方的な終戦協定無視に戦端を開いて仕方なくソ連は応戦したのだということ。ソ連側戦死者数が圧倒的に多かったことが証左しているとも。
 歴史は勝者によってつくられるということ。その理不尽な結果は今日に至っても北方領土の占領という形になっているということだろう。
 本書は昨年7月の発行。発行時には購入していたし、友人たちからも面白かったと指摘はされていたのだったが、何故かこれまで読みそびれていたのだったが、このたびやっと手に取ったところ、単行本上下2巻923ページの豊饒な物語。登場人物の造型もわかりやすくて面白く一気に読み切ったのだった。
(講談社刊)

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