秋葉原日記 (ライブラリ)

ボランティア

 被災地では大勢のボランティアが活動していた。
 全般に学生が多いのだが、企業が派遣したものも少なくないようだ。連合が募ったボランティアのグループもいた。こうしたボランティアのためのバスも運行されていた。集合地点から活動拠点へと運んでいるようだった。
 ただ、大方のボランティアは先日の大型連休中はそれこそさばききれないほど集まっていたのに、休みが終わるやいなや大半は引き上げてしまったようで、運用にはそれなりの苦労もあるようだった。
 全国の自治体が派遣した復興支援の職員たちも広義にはボランティアと呼んでよいのだろうか、こちらは組織的で、車両や装備を持ち込んでいて、旭川とか秋田などと全国各地の車両ナンバーを目撃することができた。活動内容も水道関係などとそれぞれに専門性もあるようだった。
 被災地ではホテルも被害に遭っているから絶対数が少なく、わずかに営業しているホテルはこうした全国から参集した関係者でごった返している。ホテルの確保は本当に難しくて、空室が見つかれば幸運と言えるほどのようだった。
 また、これはボランティア活動ではないが、災害救援に派遣されている自衛隊の部隊は膨大な数に上っていて、被災地くまなく展開している。幹線道路を走っているとおびただしいほどの自衛隊の車両とすれ違うこととなる。
 ボランティア組織は現地に張り付いているものばかりではなく、ハブ的な活動を行っているものもあるようだ。
 その一つ、盛岡で活動を行っているSAVE IWATEというボランティア組織を訪ねてみた。
 盛岡の古くからある住宅街の一角に事務所はあって、かつて番屋と呼ばれていた時代の消防団の施設を臨時に借り上げているもののようだ。
 2階建ての事務所にはおびただしいほどの段ボール箱が積み上げられていた。全国から寄せられた支援物資で、当初はそれこそ床が抜けるのではないかと心配するほどだったという。
 物資は全国からここに集積され、ここで仕分けされ、ここから岩手県各地の被災地に届けられるのだという。この頃では海外からも届くようになったと言っていた。
 この組織のホームページを開くと、現在必要な物資のリストが掲示されている。
 当初は、冬物の衣料や暖房器具のニーズが高く、その後、季節の変化と時間の経過で要求項目は日々変化しているのだという。
 この頃では避難生活も落ち着いてきたのか、シャンプーなども好まれているという。
 また、避難生活が長期化してきているところから、衣装ケースやトートバックのようなカバンなどもありがたいといっていた。
 ただ、同じような物資が大量に集まるので、その仕分けと保管が難題なのだとも。
 先日も衣装ケースを必要品リストに掲載したところ、あっという間に数十個も集まって置き場に苦労したとのことだった。
 この先、季節が変わっていくと、夏物衣料が必要となったりと刻々と変化していくということだったが、今もっとも欲しいものとしてはラジオとのことだった。
 事務所では10人ほどが働いていた。常時この程度が手伝ってくれているということで、完全なボランティアということだったが、学生が多いとのことだ。
 このボランティア組織は地震発生から3日後には立ち上げられたというから素早い行動だった。地元盛岡の有志数人が呼びかけたとのことである。
 この組織の活動方針を読むと、5年10年を見据えた活動を展開するとあったが、これは一過性のものとしないということであり大変心強いこと。
 ただ、現在はまだ震災から2カ月ということでそれなりの熱気もあるのだろうが、この先、そのポテンシャルをどうやって保っていくのか、終わりが見えないだけに精神的疲労も大きいだろうし、また、資金と人材の確保はどうするのか、なかなか難問のように思われた。
 資金といえば、義援金の募集も行っているのだが、支援者の中には毎月決まって振り込んでくれるような人も少なくないのだと語っていた。

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(SAVE IWATEの事務所)  

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