秋葉原日記 (ライブラリ)

原武史『「鉄学」概論』

 著者は日本近現代政治思想史を専攻する学者。
 同時に鉄道に関する造詣も深く、本書も鉄道について、専門とする日本近現代史の視点からとらえて特徴がある。
 なかなかユニークな論点があって、例えば都電と地下鉄に関する論考ものその一つ。
 一般に敗戦を境に戦前と戦後と分けてわれわれは考えがちだが、こと、東京の鉄道に関しては連続性が見られると指摘、かえって「東京の交通網という観点から見れば、敗戦よりも60年代後半のほうに、大きな断絶があったのである」と述べている。
 つまり、都電の大半が廃止され、地下鉄が発達したわけだが、それは「単に交通手段が変わったということだけにはとどまらない。それは、都電の存在によって敗戦から戦後に受け継がれてきた、人々の東京に対する認識そのものを変えたという意味で、日本社会に与えた影響は見かけ以上に大きかった」と展開している。
 都電にも地下鉄になってからも「半蔵門」や「桜田門」といった停留所や駅は存在しているが、しかし、地下鉄の乗客にとっては、今や半蔵門を通過する際に半蔵門とはどういうところか視覚的にとらえることがなく、単なる記号となってしまっていて、そのことから人々の東京に対する認識が急速に変わっていったというわけである。
 ところで、著者は相当の鉄道好きと呼んで差し支えがないように思われるが、著者自身には鉄道マニアと呼ばれることを必ずしもよしとしない姿勢がある。
 「鉄道に関心は抱いているけれど、趣味と呼ぶには徹底性を欠いていて、専門知識ではいわゆるマニアに到底かなわない」と断っているが、著者の鉄道に関する博識ぶりは多くの著作で明らかなことであり、いまさらへりくだることもないようにも思われるし、いさぎよくもない。これは児戯に類することでことさらに目立つこともないということなのかもしれないが。
 このことで、著者はわが国鉄道紀行文学を築いてきた内田百けん(門構えに月)、阿川弘之、宮脇俊三と並べ、その系譜は存亡の危機に立たされているとしているが、この際、著者自身にその衣鉢を継ぐくらいの取り組みが欲しいものだと念願する。
 ただ、その場合、鉄道は乗ってこそ楽しいものであり、研究室を離れて多くの鉄道に乗る旅に出かけてもらいたいものだ。また、その際、内田、阿川、宮脇の系譜をたどるというならば、ユーモアを忘れないように願いたいのである。
(新潮文庫)

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