秋葉原日記 (ライブラリ)

辞典好き

 先日読んだ丸谷才一のエッセイに「辞書的人間」(『星のあひびき』所収)というのがあって、辞書的人間の条件ついて次のようなことが書いてあった。
 つまり、1日に何回も辞書を引く、それも1種類でなく各種の辞典、事典を引く、同種の事典をあれこれ引きくらべる、このために辞典をたくさん買う、本屋へゆくと辞書、事典のコーナーにたいてい寄る、自分の家でもいくつもの部屋に同種の本を分けて置く、などとあって、さらに、辞書の誤りや不備に気がつくと書き込みをして直す、それを編集部に手紙その他で知らせる、自分の辞書を作る、などと続けていた。
 文筆を稼業とする人には辞書的人間が多いのだろうが、昨年亡くなられた井上ひさしさんもその筆頭ではなかったか。
 昔のことだが井上さんのエッセイで読んだことがあって、井上さんの場合は、気に入った辞書にどんどん書き込みをしていって、自分なりの辞書を作り上げてゆくというようなことだった。
 このような方々と比べようなどとは不遜であり毛頭も思わないが、自分もそれなりに辞典好きではある。
 まあ、自分の文章は自分でも雑ぱくだとは感じてはいることで恥ずかしくもあるが、仕事柄それなりに辞典はよく引く。とくに国語辞典や漢字辞典は商売道具といってよい。
 辞典を引くことで多いのは、文章を書いていて使おうとしている言葉が用例として適当かどうかを確認する場合である。
 また、普段書いている文章はあくまでも記事だから、よりどころとするところは新聞用語であって、そのため新聞用語集を引く頻度は結構高い。
 記事では、小説や詩などのように創作をしているのではないから使用できる漢字や表現にも決まりが多くて、難しい漢字を使いすぎたり類語をいたずらに使い分けたりすることはもちろん何かと制限は多い。
 しかし、制限はあっても一人ひとりの記事には当然個性が出るものだし、また、平易な文章の中にオリジナリティをどう作り込んでいくかも記事を書く上ではあっても面白いところだろう。
 どうかすると、好きなほうだからだろうが国語辞典も漢語辞典も複数冊使い分けているし、時には読んでもいる。
 この辞典を読むというのは、辞典本来の用途からすれば多少は外れるかもしれないが、これがなかなか面白い。
 また、いろいろな辞典を引き比べてみると、同じ言葉なのに随分と内容が違っている場合もあるし、とくに用例には個性が表れやすい。
 辞典類は、家では机のすぐ脇の手の届くところに置いている。
 国語辞典としては、岩波『広辞苑』、三省堂『大辞林』、『新潮国語辞典』など。『角川類語新辞典』や『岩波古語辞典』などというものもある。
 漢和辞典では、『角川漢和中辞典』、『新潮日本語漢字辞典』、引く頻度は落ちるが大修館の『廣漢和辞典』(全4巻)なども。
 ほかに、英和辞典、和英辞典、カタガナ語辞典や、変わったところでは教育社『架空人名辞典』や東京堂『年中行事辞典』など。
 旅行好きだから地名事典なども少なくないが、個人で全巻揃えているものはまれだろうと思うのは人文社の『観光と旅 郷土資料事典』全47巻。これは都道府県別の構成で、地誌的な要素も含まれているから使うに重宝だ。
 なお、辞典類同様およそ読書の対象となりそうにもないものの読んで面白いということでは地図帳や時刻表、理科年表もそうだ。これらは読み出すと止まらないほどで、地図帳はもちろん、時刻表や理科年表は数字が羅列してあるだけのことだが、これらを読み解くのは至福のことだ。

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