秋葉原日記 (ライブラリ)

原武史『昭和天皇』

 かつて読んだ本で、天皇とは何とも年から年中神事を執り行っている神官みたいなものだなという印象を持ったことがあったが、本書を読んでその印象を新たにした。
 実際、本書によると、昭和天皇は宮中祭祀にことのほか熱心だったようで、その数は、主なものだけでも年に20いくつ、旬祭までも含めると40数回に上ったこともあるという。
 本書はこの宮中祭祀を通じて昭和天皇像に迫ったものだが、この着眼は、これまでの昭和天皇研究ではあまり採りあげられてこなかった分野を切り開いたものと言えそうだ。
 著者は、8年前に『大正天皇』(朝日選書)を上梓していて、その際にも、明治、昭和両天皇に比べ断然論考数の少ない分野の開拓ということで注目を集めていて、わが国近現代史に一石を投じていた。
 本書で著者はまず、「これまで描かれてきた昭和天皇像は、多かれ少なかれ戦前と戦後の断絶を強調するものが多かった」が、しかし、「少なくとも昭和天皇自身にとって、戦前と戦後はむしろ連続する面が多かった」と指摘、それは「お濠の内側」すなわち不可視の天皇としての宮中祭祀や生物学研究、「お濠の外側」すなわち可視化された天皇としての地方視察などと継続されていると述べている。
 では、「昭和天皇は祭祀のたびに、神々に向かって、一体何を祈っていたのだろうか」
 これに対する答えを求めたのが本書で、このために、著者は、お濠の内側の昭和天皇像を探るべく、侍従といった側近などの日記や回想録などをはじめ少ない材料を丹念に読みほどいている。
 この中で著者は、昭和天皇は国民に対してよりも神に対して強い責任の自覚を持っていた、対米戦争の危機迫る時期にあっても生物学研究で喜んでいた、天皇が戦争を終結しようとした究極の目的は三種の神器の確保にあったなどと指摘しているが、これは昭和天皇に対する告発であろうか。
 しかし一方で、敗戦後、退位しなかったこと、ついに国民に謝罪の言葉がなかったことについては、為政者のし向けたことだと結論している。
 また、「日本国憲法の理念である平和を「神」に祈るというのは明らかに矛盾を含んでいる」と述べている一方で、肝心の昭和天皇はなぜ何を祈ったのかについては、「天皇が戦後もなお祭祀にこだわった理由としては、一つには戦中期における自らの誤った祈りを「神」に対して謝罪し、悔い改めて平和を祈り続けようとしたことがあろう」と述べている。
 著者は、1962年生まれ。日経新聞記者を経て現在は明治学院大学教授として日本政治思想史を専攻する学者で、ジャーナリストとしての経験が新しい視点をもたらしている少壮の学者と言えるのだろう。
 ただ、本書を読んでいて実は終始いらだちがつきまとって離れなかった。つまり、自分の読解力が低いからだろうがロジックがどうにも曖昧で、著者の史観がはっきり見えてこないのだった。
(岩波新書刊)

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