秋葉原日記 (ライブラリ)

池澤夏樹『光の指で触れよ』

 主人公は4人家族。夫林太郎は風車設計を手がける大手電機会社のエンジニア。妻アユミは主婦であり環境問題のニュースレターの編集などもしていた。長男森介は新潟県にある全寮制高校に入っている。長女可南子(愛称キノコちゃん)は5歳。
 実は本書には前作があって、6年前の前作『すばらしい新世界』では、キノコちゃんはまだ生まれていなかったが、林太郎がネパールの奥地ヒマラヤの山中に風車を建設したり、森介の冒険があったりと魅力的なエピソードが織り込まれていて、絆の強い心温まる家族が描かれていた。ネパールへの長期にわたる出張では、アユミとの間ではメールのやりとりが行われていて、夫の仕事に対し理解を示す妻がいた。
 この幸福だった家族が、林太郎の浮気がもとでバラバラになってしまう。
 林太郎が会社の若い女子社員と恋に落ちてしまったのだ。
 その事実を知ったアユミは、キノコちゃんを連れてヨーロッパに出てしまう。
 かいつまめばこういうあらすじ。
 そして、4人ともに様々に移動を行っていて同一箇所にとどまる保守性は薄いということ、とくにアユミとキノコちゃんがフランスあるいはスコットランドで体験するコミュニティという生活が重要なモチーフになっている。
 物語は進んで、アユミはコミュニティにおける農作業を中心とした共同生活に満足をし、スピリチュアルなものに惹かれていく。
 また、林太郎も、やがて恋人と別れそして会社を辞めエンジニアの職を投げ、農業へと人生が大きく変化していく。
 とにかくいろいろなキーワードが含まれている。
 夫婦の絆、親子の絆、母語の外に出ての子育て、コミュニティあるいは共同体、自給自足の生活、環境問題、シュタイナー教育、スピリチュアル、等々。
 もっとも、このキーワードをちりばめるためにストーリーをつくっているという印象がつきまとうし、よく言えば示唆に富んだと言うことになるが、何事も教訓じみたところが鼻にもつくだろう。また、いつでも終わりにしたいときには精算できるなどという浮気に対する林太郎の考え方は女性から見たら身勝手と受け止められるだろう。
 本文中「土地から何も奪わず、土地に何も加えない」という言葉は作者の一つの方向を集約しているかも知れない。
 それで、一つ気になることがある。
 池澤と言えば、大学で物理を専攻していて科学技術への知識も深く、本著でもエンジニアとしての林太郎をいきいきと描いていたように、理系的コモンセンスとでも言うのか、知的な作品が多いのだが、本作では農業への傾斜、それも自給自足にあこがれ、スピリチュアルなものとの融合を模索するなど、思想に変化が感じられもしたのだった。
 また、これは直感なのだが、何やら池澤が元来もっとも嫌うはずの疑似科学すれすれのようでもあり、もう一度改めて精読する必要も感じたのだった。
(中央公論新社刊)

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