秋葉原日記 (ライブラリ)

大江健三郎『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』

 私(職業小説家)、大学時代からの友人にして映画プロデューサーの木守、若くしてアメリカに渡りスター女優となったサクラさんの3人が、四国の一揆を題材に取った映画を撮ろうと企画する。シナリオは小説家である私が担当する。
 そして、この映画を撮ろうという話は、実は30年前に同じ3人が「ミヒャエル・コールハース計画」(権力者に対する民衆蜂起が主題)として企画されていたものだったのだが、当時はサクラさんにまつわる残酷な事実という事情があって潰えていたものだった。
 この小説をごく簡単にかいつまめばこういう話だろうか。
 主人公である「私」は大江自身であることは容易に読み取れる。
 題名は、ポーの詩「アナベル・リイ」の日夏耿之介訳から取られたものだが、これが作中で重要な意味を持っている。なお、このポーの詩に感化を受けて書かれたのがナボコフの『ロリータ』で、その若島正訳による新潮文庫が一昨秋に刊行されていて、その解説を大江が書いている。
 大江の小説は相変わらず難解である。話が西洋文学から一揆などと多岐にわたって奔放だ。
 また、現在と30年前と二つの映画作りの話が重層的に展開していて、注意して読み込まないとこんがらかる。
 内容は、所詮たわいもないものと言えばそれもそうだ。老練な小説家による小説だ。仕掛けはいっぱいある。しかし、それもただそれまでのことと言えばそれもそうだ。
 シナリオを書いていて台詞が長いといって何度も書き直しをさせられる小説家の私。シナリオ書きもおもしろいといって楽しむそのくだりなどは抱腹ものだ。
 結局、達者な小説だ、そう言っておこう。
 大江の小説は、初めて読んだのは『セブンティーン』だったか。以来、随分と読んできた。『個人的な体験』『万延元年のフットボール』あたりまではまだよかった。
 しかし、このごろではあまり積極的に読む気にならなくて、大江自身「最後の小説」というふれこみだった『燃えあがる緑の木』3部作も購入したままで放っておいていた。
 あれから10年。大江自身の位置付けで「後期の仕事(レイトワーク)」と呼んで執筆を再開していて、本書もその一作ということになる。
 大江はこの先最後の小説をどう描くのだろうか。
(新潮社刊)

rotashianeberuni.jpg
     

バックナンバーへ

お勧めの書籍