2016/06/20

大連逍遙

 18日土曜日に大連から帰ってきた。北京から大連へと5泊6日の旅だった。
 17日は大連市街を朝から夕方までめいっぱい歩き回った。万歩計によると、総歩数は2万6,911歩、距離にして16.28キロだったから随分とたくさん歩いた。私は知らない町に行くととにかく歩くことにしているが、これほど歩いたのも珍しい。
 大連は25年ぶりとはいえ2度目だったが、これがいけなかった。つまり、なまじっか25年前の記憶を頼りにしたところ、これが大間違い。
 つまり、大連は港町特有に、平地からすぐに坂道となっていて山麓までが市街地。この丘の上から大連の町が見下ろせるはずで、高台に開けたあたりが日本人の多く住む高級住宅街だったはず。
 山の上にはテレビ塔があって、そこには麓の労働公園からリフトが通じていて、絶好の眺望のように思えた。これは正解で、山の上からは、高層ビルが林立する大連の町が一望できたし、大連港までも望めた。とにかく近代的な大都会である。
 リフトで再び麓に降りて、山麓目指して歩き始めた。ところが、行けども行けども山の端に突き当たらない。さんざんくたびれた頃になってやっと気がついた。何のことはない、丘を削り山を崩して市街地が奥へと伸びていたのである。
 延安路という広い道を進んでいたのだが、途中で気がついて、しかし、同じ道をそのまま引き返すのは、国木田独歩の『武蔵野』ならずとも愚か。そこで横に回り込もうとしたのだが、これが2度目の失敗。どこまで行っても、丘を越せる道が出てこないのである。それで、通りかかったバスに飛び乗ったら、これが大正解。
 見当をつけて飛び降りたのだが、それが敵中、目指すあたりだったのである。七七街、五五街、青林街、明沢街などとあって美しい街路が伸びている。このあたりがかつての高級住宅街だったと思われたが、現在はさらにそれが超の字のつく高級住宅街となっていた。
 とにかく美しく風情のあるたたずまいだなと感心していたら、南山路という街路に出た。これがそもそも目指す通りだったのだが、現在となっては高台というよりは市街中心に近い随分と手前だったのである。
 この通りのことは、かつて読んだ清岡卓行の『アカシアの大連や』や『中山広場』などで知っていて、そもそも、これらの本に啓発されて、25年前の1回目も、このたびの2度目も大連を訪れたようなもので、大連と聞くとなぜかセンチメンタルになるのも清岡の小説やエッセイによるところが大きい。
 それで、肝心のアカシアだが、花の季節はすでに過ぎていて、残念ながら黄色い花も、甘ったるい香りも今回は楽しめなかった。5月の下旬が見頃だという。初めて訪れたときには花が咲いていたから、おそらくそれは5月だったのであろう。
 その分というか、サクランボが季節で、大連駅周辺など街中至る所道ばたでサクランボが売られている。日本のものに比べると実は随分と大きい。梅くらいの大きさもあって、味は日本のもの同様に甘酸っぱい。1斤(500グラム)10元(180円)くらいだった。
 大連はとにかく広場が多い。その大半が円形だ。有名な中山広場(かつての大広場)はじめ三八広場、民主広場、友好広場などとあって、このうちざっと十いくつかを歩いた。これらの広場が大連に美しくも豊かな表情を与えている。
 こうした町のグランドデザインはロシアが行ったとされ、ロシアはパリへの憧憬があって大連を東洋のパリにしようともくろんだらしい。ロシアのあと統治した日本はデザインはそのままに町づくりを進めたもののようだ。



写真1 大連市街を見下ろすビューポイントテレビ塔から俯瞰した大連中心部。


写真2 日本統治時代からの高級住宅街がそのまま息づいている。七七街で。


写真3 大連の路面電車。ものすごく古い車両が走っていた。

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