2016/06/17

旅順を訪ねて

 昨日16日は、旅順を訪ねた。大連そのものは2度目だが旅順は初めて。
 旅順とは、遼東半島の最南端に位置し、ロシア、日本そして現在に至るも中国の軍港であり、また、日露戦争時には203高地の激戦などで知られる。現在は行政上は大連市に組み込まれ旅順口区となっている。
 旅順へは、車で約1時間の道のり。初めに旅順口新区と呼ばれる工業地帯を訪れた。新たに開発されたもののようで、全体を見渡せる丘の上から俯瞰すると、造船所のクレーンが林立している。
 まず、眼下には、今治造船が中国における拠点としている今岡造船の造船所。門形クレーンやタワークレーンがずらり立っていて、かなり大きなドッグであることがうかがえた。ドッグには、船尾だったり、大きなブロックが満杯の状態で建造中だった。また、周辺には巨大な工場建屋があって、これもここが大きな造船所であることを示していた。
 今岡造船の奥に目をやると、これも巨大な造船所が目に入った。川崎重工が中国企業との合弁で設けた造船所だということで、合弁の相手方がCOSCOという海運会社であるところからコンテナ船の建造をもっぱら手がけているということだった。
 次に訪れたのは203高地。もとより日露戦争で最激戦地だったところ。旅順港を獲得する上で戦略上のポイントなった。標高が203メートルなのでこの名がある。
 駐車場から長い坂道を歩くこと十数分。頂上には砲弾をかたどった塔があった。乃木将軍が戦死した兵士たちを鎮魂するために建てたもので、高さは約10メートル。その材料には砲弾の破片をかき集めといわれる。 
 そばにあった解説の看板によると、この攻防戦で、ロシア側5千人、日本側に1万人の死傷者がでたという。死屍累々とした戦いが思い起こされた。
 また、少し離れたところに旅順港が見渡せる場所があって、そこから望むと、生憎この日はガスがかかっていたことと、生長した木立に遮られてはっきりとは見えないが、かすかに港が望めるようだった。直線距離にして約4キロだということである。
 203高地からは山を下りて旅順港へ。なるほどこれは天然の良港と思われた。港全体を眼下に納められる丘の上からは、狭い湾口が手に取るようにわかり、閉塞作戦の意味がわかるようだった。
 なお、途中、水師営の会見所に立ち寄った。乃木将軍が、降伏したステッセルと会見した場所で、小さな農家のようなたたずまいだった。



写真1 クレーンが林立する旅順口新区の造船所。


写真2 203高地から見た旅順港。この日は生憎と霞がかかっていた。


写真3 白玉山から眼下に見た旅順港。

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