2016/05/25

映画『緑はよみがえる』

 エルマンノ・オルミ監督作品。イタリア映画。
 冒頭の、丘の上に満月が輝くシーンが実に美しい。雪景色である。静謐である。また、夜空の下で兵士が朗々と歌うイタリア民謡が身にしみてくる。
 しかし、この美しさでセンチメンタルになっていてはいけない。それでは裏切られる。
 舞台は第一次世界大戦でオーストリア軍と対置する北部イタリア戦線。最前線に塹壕を掘って対抗しているイタリア軍兵士の部隊。膠着化して長期化しているのか、食糧が不足し、挙げ句の果て厳寒の中インフルエンザまで蔓延している。当然、厭戦気分が強く、楽しみは家族から届く手紙だけ。
 総攻撃の命令が伝達されるが、突撃に入る前に、夜陰、探照灯が打ち上げられ、猛烈な砲撃が陣地を襲う。多くの死傷者が出て、結局は撤退が命令される。
 物語はこれだけである。塹壕の中のほぼ一日を描いたということではないか。しかし、この一日が実に濃密である。
 しかも、この一日を映像で描いたところにこの映画の映画たるゆえんがあり、それはまた映画美の極致でもあるといえる。
 戦争の悲惨さを描いているのだが、こう言葉にしてしまっては、深い悲惨さは伝わってこない。映像が描く悲惨さは簡単に言葉にしてしまうことをたしなめる。これはまさしく映画言語である。
 映像はもちろんカラーなのだが、観ているものにモノクロではないかと錯覚させるほどに落ち着いた美しさとなって訴えてくる。悲惨さがより一層身にしみてくるのである。
 塹壕の眼前に1本の大きな木が立っているのだが、これが時間によって黄金色に輝くときがある。その美しさ。しかし、その木が砲撃によって炎上する。また、外は雪景色である。こうした映像が美しければ美しいだけ戦争のむなしさがこみ上げてくるのである。
 もちろん、言葉がないわけではない。歌の得意な兵士が歌ってくれと頼まれる場面があって、その兵士は「幸せでなければ歌えないと」答えるし、ある兵士は「戦争には何も残らない」と嘆息するし、戦争は醜いし、戦争は休むことなく(いつの時代も)続くと語られる。
 終わりで、雪原の稜線を撤退していく兵士たちの隊列のシーンがとても美しくてどのように受け止めたらよいのか自分の感性に戸惑ったし、冒頭に描かれていた、丘の上に満月が輝くシーンがエンディングにも出ていて、そのあまりにも美しいことに希望を見出そうとしていた。
 私はこの監督の作品は初めてだが、ストーリーの面白さではなく、映像の美しさ、映画言語のすばらしさで観るものを惹きつける作家が、今でもイタリアにはいるのだということを再確認させられて感心した。
 そして、最近の映画に内外を問わずよくあることだが、キャストやスタッフを記す延々と長いエンディングは、今、観たばかりの映画をこの間によくよく反芻して欲しいと問いかけられているようで、しかし、気の早い観客は早くも席を立っているし、何か、どこか、片付かない気持ちはいつものことだった。


(写真は映画館に掲げられていた看板を撮影して引用した)

お勧めの書籍