2016/05/20

グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』

 著者はイギリスを代表する作家であり、20世紀最も偉大な作家の一人とされる。また、自らの作品を、ノヴェルとエンターテイメントに分類したとされる。
 本作は、スパイ小説のカテゴリーに入れられるのであろうが、その濃密な文体はノヴェルそのものだ。
 主人公のカッスルは、イギリス情報部の職員。30年以上勤務しているベテラン。62歳。南アフリカのプレトリアに赴任していたことがあり、アフリカ東部と南部を担当している。
 そのアフリカ方面で機密漏洩の疑念が浮上した。それも現地ではなく内部から漏れた可能性が高い。
 そこで、内部調査が進められ、担当している6Aのセクションが徹底してマークされ、課長のワトスン以下、カッスル、デイヴィスが調べられた。ワトスンとカッスルについては早々に対象から外され、デイヴィスに疑惑が絞られた。
 読み出すと物語は淡々として進む。人物造型と心理描写がきめ細かい。カッスルやデイヴィスなど私生活の細部に至るまで描かれている。あまりに細かく淡々としているので、スパイ小説ではなく、スパイの生活と信条についての物語かと見紛うばかりだ。もちろん、ジェームズ・ボンドなどどこにも出てこないし、派手なアクションなど一つもない。
 ただし、読むについては細心の注意が必要だ。心理のひだにまで読み込む必要があるし、巧妙に張られた伏線にも留意しなければならない。
 つまり、ストーリーを追うだけで結論を急ぎすぎるとこの小説の面白さは半減するのではないか。
 カッスルは、ロンドンの職場から列車と自転車を乗り継いで約1時間の郊外に住んでいる。長い小説が好きで、現在は『クラリッサ・ハーロウ』を読んでいるが、途中で厭きたらしく、馴染みの古本屋で『戦争と平和』を購入する。その際、カッスルは店主に対し「いつもどおり二部お願いするよ」と言って注文している。
 この場面は、まだ物語の初めの部分だが、この二部というくだりについて、何のわだかまりも覚えずに読み進むようなら、はっきり言ってこの小説の醍醐味は味わえない。
 おそらくスパイ小説に関してイギリスは本場だろうが、著者グレアム・グリーンは二重スパイをその苦悩を浮かび上がらせるまでに描いていて、これぞ小説という大いなる満足感が得られたのだった。傑作である。
 なお、原作は1978年の刊行で、わが国では1979年に初めの翻訳が出ていて、本書は新訳による2006年の刊行。
(ハヤカワ文庫)


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