2016/05/11

原田マハ『暗幕のゲルニカ』

 もとよりピカソの傑作「ゲルニカ」の運命が描かれている。
 物語の舞台は、ナチスの軍靴の響きが次第に大きくなり始めていたパリと、9.11同時多発テロに襲われたニューヨーク。
 パリでは、1937年パリ万博に向けてパブロ・ピカソがスペイン館大壁画の制作に取り組んでいた。この頃、ピカソはすでにスペインを代表する世界的な画家となっていた。
 何を描くか煩悶としていたピカソだったが、折しも祖国スペインが内乱にあり、フランコを支援するナチスがゲルニカを空爆するという暴挙に出るや、敢然として筆を執りカンヴァスに向かったのだった。
 一方、ニューヨークでは、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレーター八神瑤子がピカソ展に向けた企画を練っていたところ、折しも2001年9月11日同時多発テロが発生、瑤子は夫を失った。
 スペイン館に展示された「ゲルニカ」は衝撃を持って迎えられた。縦3.5×横7.8メートルの巨大なカンヴァスには、死んだ子供を抱いて泣き叫ぶ母親、腹を切り裂かれいななきわめく馬などがモノクロームの画面いっぱいに描かれている。ただし、そこには兵隊も戦車も殺し合いも描かれてはいないのだが、これは明らかに戦争の惨劇の場面だ。それは、ピカソによる祖国への鎮魂であり、反戦への明確な意思表示だった。
 他方、9.11から2年、アメリカによるイラク空爆が行われていた頃、瑤子はピカソ展実現に向けて活動を続けていた。テーマも「ピカソと戦争」というもので、瑤子はこの展覧会に「ゲルニカ」の出品は不可欠だと執念を燃やしていた。
 実は、「ゲルニカ」は、戦火のパリを逃れニューヨークに亡命していたのだが、その際、ピカソはスペインに真の民主主義が訪れるまで「ゲルニカ」を預かっていてほしいと頼んでいて、結局、「ゲルニカ」は42年もMoMAに展示され、スペインに返還されたのは1981年だった。
 以来、マドリッドのレイナ・ソフィア芸術センターに展示されてきていて、世界中の美術館からの申し出でがあろうとも館外に貸し出されることは二度となかった。
 それは、「ゲルニカ」の痛みが激しく移動することは困難だというほかに、もし移動できるということになればテロリストのターゲットになり再び危険にさらされるというのが理由だった。
 この困難な状況を瑤子は打開できたのか、書名にある暗幕の、の意味は、物語の冒頭で明らかにされるのだが、しかし、そのエピソードは、本書タイトルにするにしてはいささか積極性に欠けるのではないかと思いつつ読み進んでいくと、最後の場面で、二つ目の、しかし、きわめて積極性の高い象徴的なエピソードが明らかにされたのだった。
 物語はきわめて劇的に進んでいて、展開がスリリングであり、サスペンスでもあるのだが、登場人物もまた魅力的だ。
 パリの主役ピカソと、ニューヨークの主役瑤子。加えるに、脇役陣が多彩で個性的で、物語を奥深くしている。パリでピカソの愛人であるドラ・マール、ニューヨークでMoMA理事長のルース・ロックフェラー、そして常にピカソを尊敬し後援してきたスペインの貴公子バルド・イグナシオなどなど。
 私はこの「ゲルニカ」をこれまでに二度目の当たりにしたことがあり、ピカソ作品が好きで機会あるごとに見てきているが、「ゲルニカ」はピカソの作品にしてはメッセージ性が強く、本書を読んでその背景がよくわかって面白かった。
 原田には美術に題材を採った小説にいいものが多い。モネや印象派の画家を描いた『ジヴェルニーの食卓』、沖縄の画家と米軍兵士の交流を描いた『太陽の棘』などといずれも印象深い。私は『楽園のカンヴァス』は読んでいないが、本作『暗幕のゲルニカ』は傑作ではないか。
(新潮社刊)


お勧めの書籍