2016/04/05

宗谷本線で日本最北端稚内へ

 先日の北海道旅行では、北海道新幹線を新函館北斗で特急スーパー北斗に乗り継ぎ、札幌を中継しさらに足を伸ばして稚内へと向かった。
 3月27日日曜7時48分札幌発特急スーパー宗谷1号稚内行き。7番線からの発車。4両のディーゼルである。稚内へは、旭川までが函館本線で、旭川から先が稚内まで宗谷本線である。稚内を結ぶ特急列車は、宗谷とサロベツ合わせて1日3本往復しているが、全て札幌発着である。
 北海道第二の都会旭川9時15分着、札幌からの乗客の約3分の2が降りた。出発は9時17分。いよいよ日本最北端の地への旅である。
 窓外は真っ白。いよいよ雪深くなってきた。春の気配などまったく感じられない。ただ、新雪は少ないようで、積雪の表面がやや丸みを帯びてきているように思える。
 士別9時57分。上りのスーパー宗谷2号と交換した。また、士別を出てほどなく、10時01分頃か、天塩川を直角に渡った。この先、列車は天塩川と並行して進むが、天塩川を二度と渡ることはないはず。
 名寄10時12分着、10時14分発車。列車は1分遅れている。名寄駅はかつて名寄本線、深名線の接続駅だった。すでに両線ともに廃線となってしまったが、私はかつて乗ったことがあって、とくに深名線が印象的で、名寄を出てしばらくして朱鞠内湖の畔を走った。名前だけでも神秘的である。このあたりは北海道の中でも寒いところで、日中でも零下10度ほどだったと記憶している。
 名寄を出ていよいよ天塩川に寄り添ってきた。大河である。両岸を白樺の林が続いている。直径10数センチほどか、細くひょろひょろとしている。車窓から見る限り、一面雪で覆われているから定かではないが、サイロが目立つから大半が牧畜のようで、田畑には見えない。田畑の農家にサイロは不必要であろう。
 美深を過ぎて左に雪をいただいたままの天塩山地が見えてきた。荒削りの鋭い尾根が真っ白に輝いている。
 続いて音威子府(おといねっぷ)10時57分着。何と詩的な響きだろうか。北海道に来ていることを強く実感する。かつてここから稚内へ天北線が出ていた。宗谷本線と別れ東寄りオホーツク沿岸を走るルートで、浜頓別、鬼士別などと続いていた。当時、廃線か、存続か、天北線の帰趨は混沌としていて、労働組合の赤旗がはためき立て看板が並んでいた。
 音威子府を過ぎるといよいよ天塩川がつかず離れずしてきた。悠久の流れである。この天塩川がなければ宗谷本線は単調な路線であったろう。
 天塩中川を出て歌内付近か、天塩川に氷が張っていた。これほどの大河が結氷するというのは驚き。それももうすぐ4月だというのに。この先も数カ所で結氷した天塩川を見ることができた。
 それにしても、天塩川は南から北へと流れているわけだが、これは感覚的にはわかりにくい。地形を知らず地図を見ているからだが、どうも川が北上するということにピンとこない。北陸や山陰はともかくとしても。
 11時46分だったから、雄信内(おのっぷない)の手前でトンネルがあった。そこそこ長いトンネルで宗谷本線唯一のトンネルである。山中を走っているにもかかわらずこれはちょっと驚くくらい少ないのではないか。天塩川も蛇行していないようだし、平地を選んで上手にルートがとられているのだろう。
 幌延12時01分。かつてはここで日本海沿岸を北上してきた羽幌線と合流していた。天塩川ともここでお別れ。ここからは左窓にサロベツ原野が見えてくる。
 とくに、豊富、徳満あたり、平坦な風景がどころまでも広がっている。雪に覆われているからそうでもないが、晩秋など茫漠とした景色にたじろぐほどだ。人跡未踏の様相である。
 12時45分頃、南稚内を前にして左窓眼下に荒涼として日本海が見えてくる。晴れていれば利尻山が望めるはずなのだが、この日は注意していても見えなかった。
 そうこうして12時53分定刻稚内到着。日本最北端の終着駅である。旭川から259.4キロ、札幌から396.2キロ、新函館北斗から691.2キロで、東京からなら実に1553.7キロである。札幌からの所要時間は5時間5分だった。
 稚内に降り立ったのは3度目。初めが1989年2月26日、2度目の前回は2009年10月12日だった。7年ぶりだったが駅はまったく新しくなっていて、明るい駅ビルができていた。そのせいか、最果ての駅に降り立ったという情緒がやや薄かったように思われた。


写真1 悠久の流れ天塩川。驚くことにところどころで結氷していた。


写真2 稚内に向けて走る宗谷本線列車。抜海駅付近で。(3月28日撮影)


写真3 長い旅路の果て日本最北端の終着駅稚内に降り立つ乗客。

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