2016/03/02

5年目の被災地

 昨日1日から三陸に来ている。震災から5年目を迎える被災地の状況を取材するのが目的。
 2011年3月11日の東日本大震災の直後から毎年1度欠かさず現地を訪れていて、しかも決まって北は宮古から南下して山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田と巡っているからまるで定点観測を行っているようなもの。
 今年もほぼ同じルートをたどる予定で、1日目は、盛岡をレンタカーで出発し、まずは島越へ。
 島越駅は、宮古のさらに北、下閉伊郡田野畑村にある三陸鉄道北リアス線の駅。
 ここも5年連続で訪れたが、震災では津波によって駅舎も線路も町ごと流され壊滅した。駅名の愛称を宮澤賢治の童話にちなんでカルボナードと呼ぶが、かつてはドームが乗ったメルヘンチックな駅舎だった。
三陸鉄道は被災直後から復旧に取り組んできていて1週間を待たずして一部区間だが復興列車を走らせていた。
 ただ、最後まで復旧が遅れたのがこの島越駅前後で、トンネルとトンネルを結ぶこの区間が難工事となっていた。
 それでも、昨年2015年4月には復旧工事を完了、北リアス線全通となっていたのだった。
 その際は、鉄路がつながり駅舎が完成してはいたものの、駅周辺の開発はほぼ手つかずの状態だったが、このたび訪れたら、新しい駅前広場が完成し、町づくりのきっかけとなりそうだった。
 新しい駅舎はかつての駅舎にイメージを似せたようで、小さなとんがり屋根を載せていている。赤煉瓦調も真新しく、親しみの持てそうな駅舎となっていた。
 ただ、駅前に住宅はまだ1軒もなく、あったのは高台にあって被災を免れた2軒だけだった。この2軒の方々は、果たしてラッキーだったものかどうか。周りに何もなくなってしまって、かえって寂しさが募るのではないか、そのようにも思われた。そう言えば、駅に併設されている売店のおばさんは「みんな被災者です」と語っていたが、それが真実であろう。
 また、このおばさんによると、冬季のこの時期は観光客の姿もなく、利用者は地元の常連10人程度だということ。このうちこの日利用したのは高校生6人、一般人2人だけだったとのこと。
 島越地区の住民は高台に移転していて、そこは歩ける範囲でもないほどに遠く、新しい生活と鉄道との関係は薄くなりかねないような様子だった。


写真1 新しい島越駅。


写真2 島越駅に入線してきた三陸鉄道北リアス線宮古行き列車。降りたのは高校生1名だけだった。


写真3 島越地区の住民が高台移転した住宅の様子。新しい街並みになってきた。

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