2016/02/12

大和ミュージアム

 先の中国地方鉄道旅では、途中、呉線の呉駅で下車し呉市海事歴史科学館(愛称大和ミュージアム)を見学する機会があった。
 呉は、明治期から造船の町であり、鎮守府が置かれ軍港として海軍の重要拠点となってきた。世界最大の戦艦「大和」もここ呉海軍工廠で建造された。また、呉は戦後においても世界最大のタンカー「日精丸」が建造されるなど造船の町として息づいており、長く受け継がれてきた技術は造船のみならず、鉄道など戦後発展の礎をになってきた歴史を持つ。
 このミュージアムはそうした先人が築いてきた科学技術を未来へ繋げようと設立されたもので、昨年は開館からちょうど10年を経て入場者数は実に1千万人を突破した。地方都市の博物館でこれほどの動員力は画期的なもので、戦艦大和の根強い人気を物語っている。
 ミュージアムは、呉駅から連絡通路で徒歩5分のところ呉港に面して建っている。館内は大勢の来場者で賑わっていて、とくに小学生の姿が目立った。
 館内に入ってすぐに迎えてくれたのは戦艦大和の実物10分の1スケールの模型。実に大きくて本物かと見紛うばかりで、いかにも大和らしい。発見された資料を精査して制作されたものらしい。
 大和は、実物は全長263メートル、排出量6万5千トンと世界最大だが、いかにも戦艦らしく流線型が鋭く美しい船形をしている。
 展示は進むほどに戦艦の歴史や建造の技術などがわかるようになっていて大変興味深い。なかでも、技術者教育や溶接に関する展示の多いことに感心した。
 人材の育成にはことのほか熱心だったようで、呉海軍工廠では大正7年に職工教習所が設立されたほか、昭和3年には横須賀から海軍技手養成所も移転され、造船・造機・造兵関係の質の高い教育システムがつくられたと解説してあった。
 また、大和への適用も含め溶接技術の開発に言及した展示が目立っていた。その一つに福田烈氏に関する記述があり、「造船官として、電気溶接技術を研究・開発し、積極的に艦艇建造に取り入れました」と写真入りで紹介してあった。
 福田氏は海軍技術中将だった人だが、戦後は、日本溶接協会の創立に関与し、とくに検定部会(現・溶接技術検定委員会)を設立し初代の部会長を歴任された。その礎が今日の年間受験者数10万人を数える検定事業となっており、わが国溶接技術の品質確保に貢献している。
 また、敷設艦「八重山」についても「電気溶接を初めて本格的に適用した」と写真を掲げて紹介してあった。この八重山は溶接の歴史上重要なポイントして知られている。
 さらに、別のパネルでは、電気溶接の導入について大きなスペースを割いていて次のように解説してあった。
 「電気溶接は呉工廠が先行的に開発した技術で、従来の鋲打ちに比べ作業の効率化・船の軽量化・材料費節約ができました。呉工廠は、昭和6年、日本で初めて電気溶接を採用した敷設艦「八重山」をつくり、大型艦では昭和10年に二等巡洋艦「最上」をつくりました。その後、試行錯誤を重ねて電気溶接技術は進歩し、戦艦「大和」建造にも取り入れられました。また電気溶接法とそれにともなうブロック建造法は、戦後の造船において世界の主流となりました」。
 いかにも造船の町らしい溶接への高い評価を示すきちんとした表現で、また、呉海軍工廠で使われていた溶接用工具として溶接用マスク、革手袋、電気溶接棒ホルダーなどが展示されており興味深いものだった。
 ただ、多数の艦艇が損傷した第四艦隊事件についても触れていて、その原因の一つとして溶接技術の未熟にあったとし、「この事件により電気溶接工法の採用は一時期大きく後退しました」とも述べていた。


写真1 戦艦大和10分の1スケールの模型。美しい船形で堂々たるもの。


写真2 電気溶接技術を艦艇建造に取り入れたと紹介されている福田烈氏(中央)。左上の艦艇は「八重山」。


写真3 呉海軍工廠で使われていた溶接用工具。

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