2016/02/02

越後高田

 新潟を出て越後線、弥彦線と乗り継ぎ信越本線で直江津を経由し高田で途中下車した。なお、直江津からはえちごトキめき鉄道である。北陸新幹線の開通に伴い並行在来線はJRから切り離される措置により移管された。だから、かつて高崎から長野、直江津を経て新潟を結んでいた信越本線は今やぶつ切り状態である。
 高田駅に降り立つと雪が降っていた。視界が遮られるほどの大雪ではないが、水分を多く含んだ大粒のぼたぼたした雪だ。
 高田は上越市の中心で、城下町である。高田城は1614年に徳川家康の六男松平忠輝が築城しており、市内あちこちに高田開府400年の旗が翻っていた。
 高田城まで雪の中を歩いた。高田は雁木が残る町として知られるが、メインストリートの商店街は長いアーケードになっていた。脇道では融雪のための水道が散布されていた。
 駅から20分ほどか、城跡公園には三重櫓が美しい姿を見せていた。近年復元したものだが、雪の中の佇まいはなかなか独特の風情が感じられた。また、堀を渡る橋は極楽橋と名付けられていて、これも往時に習って復元されたもののようだ。
 面白いと思ったのは、この高田城には一度も天守閣が築かれなかったそうで、そう言えば、石垣もなく土塁を積み上げて城としたもののようだ。
 城跡案内図で判断する限り、なかなか大きい城だったようで、位置関係から見て三重櫓が天守閣の役割をしていたもののようだ。
 三重櫓に上ってみたら、小ぶりなものだが、きちんと復元したようで、往時を偲ばせる風情があった。櫓から市街を眺望してみたところ、この城は典型的な平城で、内堀のほかに河川を外堀として有効に配置している様子が見て取れた。
 歴代城主には、忠輝のあと、酒井、松平、稲葉、榊原などと譜代大名が名を連ねていて、忠輝は75万石ともいわれるが、最後の榊原家の時代には15万石だったという。
 高田には、かつては仕事で何度も訪れているのだが、これまでは高田城跡など見物することもなかった。このたびは40年ぶりか、この日は雪だったので、市街を縦横に歩くというわけにもいかなかったが、なかなか情緒のある街だということは感じられた。しかも、雪道は難儀だったけれども、それがいかにも高田らしくて印象深いものだった。そう言えば、この高田はスキー伝来の地でもあった。100年になるという。

 


写真1 独特の景観が面白い高田駅。えちごトキめき鉄道線である。


写真2 高田城の三重櫓。雪にけぶる姿がかえって美しい。


写真3 松平忠輝が架けたという極楽橋。堀は結氷していた。

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