2015/12/25

スベトラーナ・アレクシェービッチ『チェルノブイリの祈り』

 作者はベラルーシのジャーナリスト・作家。2015年のノーベル文学賞受賞者である。それでどんな作品を書く人なのかと興味を持って探したら、日本語に訳され現在書店で手に入る作品としてはこれしかなかった。しかも、本書もそうだが、大半の作品はドキュメンタリーなそうで、ノーベル文学賞でこれは珍しいなと思った。
 1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故についてはおびただしいほどのレポートがあるが(主にソ連邦以外の国から)、本書はチェルノブイリ原発事故に巻き込まれ被害を被った人びとの生の声を集めたドキュメンタリーである。
 取材は、事故から10年ほど経ったあたりから行われたらしく、ベラルーシに限らず広範に及んでいる。なお、ベラルーシは、事故当時ソ連邦時代の白ロシアだったところで、チェルノブイリのあるウクライナとは国境を接し、しかも、被害はチェルノブイリはもとよりだが、チェルノブイリが国境に近かったこともあって、ベラルーシあたりにも多かったようだ。
 実に広範な人びとにインタビューしている。消防士、精神科医、サマショール、事故処理作業者、猟師、映画カメラマン、ジャーナリスト、化学技師、ベラルーシ科学アカデミー元主任、環境保護監督官、歴史家、スラブゴロド党地区委員会元第一書記などとある。
 そして、ついには自分自身へもインタビューを行っていて、この本はなんについてですか? なぜあなたはこの本を書いたのですか、と自問している。
 これに対し、「この本はチェルノブイリについての本じゃありません。チェルノブイリを取りまく世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です」とし、私はこの本を書かずにはいられませんでしたと述べている。
 インタビューからいくつか拾ってみよう。
 ・私らは原子力なんて知らなかった。私らは原発の近くに住んでた。ラジオをつける。放射能、放射能とおどかしてばかりだよ。この放射能が悪いの、それともなにが悪いの? 放射能はどんなものなの?(サマショール=原発の立ち入り禁止区域に自らの意思で住み続ける人のこと)
 ・私の娘、あの子はほかの子とはちがうんです。大きくなったら私にたずねるでしょう。「どうして私はみんなとちがうの?」娘は生まれたとき赤ちゃんではなかった。生きている袋でした。カルテにはこう書かれています。「女児。多数の複合異常を伴う。肛門無形成、膣無形成、左腎無形成」。
 四年後に初めて、娘の恐ろしい異常と低レベルの放射線の関係を裏づける診断書を発行してくれました。四年間拒否され、同じことをいわれてきました。「あなたのお子さんはふつうの障害児なんです」。(母親)
 ・ぼくは、とつぜん確信がもてなくなったんです。記憶していたほうがいいのか、それとも、忘れてしまったほうがいいのか? 
 なぜわが国の作家はチェルノブイリについて沈黙し、ほとんど書かないのだろうか。
 いったいどちらがいいのだろう。覚えていることか、それとも忘れてしまうことか?(国立ゴメリ大学講師)
 ・(列車の中で)「どこから?」「チェルノブイリから」。すると人々は私たちのコンパートメントをさりげなく避け、子どもたちにもそばを走らせない。
 私はこわい。愛するのがこわいんです。フィアンセがいて、戸籍登録所に結婚願いをだしました。あなたは、ヒロシマの<ヒバクシャ>のことをなにか耳になさったことがありますか? かれらはヒバクシャ同士の結婚しか望めないというのはほんとうですか。
 子どもを生む罪。こんな罪がだれにふりかかるのか、あなたはご存知じゃありませんか? こんなことば、以前は聞いたこともありませんでした。(カーチャ・P)
 全編を通じてわかったこと。事故が起きて情報閉鎖が行われ、何が起きたのか人々には知らされていなかったこと。多数の兵士らが無防備のまま事故処理にかり出されたこと。
 そして何よりも痛切なことは、人々はチェルノブイリについて語りたがらないということ。ヒバクシャに対する偏見が強いということ。
 そして一方で、我々はチェルノブイリから何を学んだのだろうかということ、フクシマとは何なんだろうかということ。本書が終始修飾もなく淡々としているだけにいっそうその思いが強くなったのだった。
(岩波現代文庫)


お勧めの書籍