2015/12/11

神田川紀行:豊水橋から新橋まで

 淀橋を出ると、次が豊水橋(とよみずはし)、相生橋と続き、菖蒲橋(あやめはし)。この橋のところで右岸に沿ってきた新宿区が終わり、両岸が中野区となる。また、新宿区はこの周辺では渋谷区とも接している。
 宝橋を経て次の長者橋で山手通りが渡り、首都高中野長者橋の入口が目の前となる。当然片側3車線もある大きな通りで、住居表示は中野区弥生一丁目とある。
 東郷橋、桔梗橋と続き皐月橋(さつきはし)に。この皐月橋から下流側を望むと新宿副都心の都庁舎がそびえているのが見えた。
 また、この手前に東京都が立てた「神田川散策マップ」というのがあった。こういう看板は新宿区を初め岸辺の各区が立てていて、神田川を大事にしている様子がうかがえて好感が持たれた。
 なお、遊歩道の標柱によると、このあたりは源から12.2キロ、河口の隅田川まで12.4キロとあって、神田川24.6キロのうちのちょうど中間点に位置するらしい。
さらに進めて中ノ橋、月見橋と続き、次の花見橋で下流から70橋目となった。橋の数でも神田川140橋のちょうど中間となった。神田川を遡ってきて、やっとここまで来たかという思いと、まだ半分かという思いが交錯した。
 桜橋を経て新橋に至った。あるいは中野新橋とも呼称されるが、これはたもとにある地下鉄丸ノ内線の駅名が中野新橋であるところから最近になって通称したものであろう。由緒ある橋梁名を駅名に妥協するというのはいかがなものかとも思われた。神田川に関する資料で中野新橋としているものは見あたらない。
 ただ、駅名を中野新橋とすることはかまわない。つまり、地下鉄銀座線に新橋があるからで、それとの誤用を避けるための措置であろう。なお、付け加えれば、銀座線の新橋も、丸ノ内線の中野新橋も双方ともに地元はもともとかつては花柳街であった。
 訪れてみると、現在の中野新橋は朱の欄干になっていて、それも近年塗り直されたのか、とても鮮やかなものだった。


写真1 皐月橋上から下流側桔梗橋の向こうに都庁舎を望む。


写真2 河口から70番目。花見橋。神田川140橋の中間。


写真3 新橋。赤い欄干が塗り替えられ中野新橋と通称されている。

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