2015/10/27

布施英利『「美術的に正しい」仏像の見方』

 仏像鑑賞の手引き。とくに仏像を直接現地に訪ね歩いていて、それが仏像を巡る旅にもなっているし、仏像を拝観しながらの解説ともなっているから具体的でわかりやすい。
 旅は奈良からスタート。初めに訪ねたのは興福寺。ここで国宝館に入り、「阿修羅像」を見て、ガラスケースもなく肉眼でダイレクトにその像を見ることができると紹介している。
 次ぎに北円堂では、鎌倉時代につくられたお堂(国宝)に、鎌倉時代につくられた仏像が安置されているとし、「建築と、そこに置かれた仏像が当時のままに一致している、じつは数少ないスポットの一つです」と指摘し、「仏像というのは、像として単独で見ても、じつに素晴らしいものですが、しかし建築空間と、その仏像がどのようにマッチするのかの妙を味わうのも、また愉しみの一つです」と続けている。
 これは頷ける。実際、お寺では仏像は高いところにあったり、薄暗かったりと必ずしも「鑑賞」には適さない場合も少なくない。それでもガラスケースに入れられて陳列されている場合よりは臨場感があるほか、ありがたみもより強く感じられる。お寺で仏様を前にすると自然に脱帽し手を合わせるが、博物館や美術館などで仏像を前にしても、果たして一つひとつに手を合わせるかどうか。
 ただ、そうすると、ここで引用したこの記述は書名に必ずしもそぐわないではないか、そう思えてくる。
 著者は、芸大の美術研究科を出て東大の医学部で解剖学を学んでいて、美術における人体像を解剖学の視点から研究しているとのこと。「美術的に正しい」とは仏像のどういう見方なのか。
 薬師寺の東院堂にある「聖観音像」が紹介されている。ここで靴を脱ぎ仏像の前に座って見上げてみても「いきなりの感動というのは、もしかしたらやって来ないかもしれない」とし、じっくり見ることがだいじだとして、青銅の色を見たり、首にあしらった宝石の首飾りを見たりして、「装飾品や衣服を一つ一つ確認しながら見て、その後に改めて仏像の全体像を見てみると、一見して地味で、茶色い金属のかたまりのようだった「聖観音像」が思いのほか、華やかで賑やかに造形されていることに気づく」とし、細かく見ることによって感動が得られると述べている。
 それにしても、くどいようだが美術的に正しい云々のこの書名はいかなものか。
(ワニブックス)


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