2015/08/31

常磐線の最近

 常磐線で東京から仙台までスムーズに行けるのか、東日本大震災による原発事故と津波被害からの復興はどうなっているのか、大きな興味があって常磐線に乗りに出かけた。
 昨日8月30日日曜日。上野5時10分発勝田行き。特定電車区間を除けば常磐線のこの日の1番電車である。この列車には昨年の12月27日にも乗ったことがあった。
 なお、常磐線は、線区としては東北本線の日暮里駅から同じく東北本線の岩沼駅間全線343.1キロである。ただし、列車はすべて上野駅あるいは仙台駅発着となっている。
 そうこうして水戸6時58分着。7時14分発竜田行きに乗り継ぎ。沿線の田んぼは黄色く色づいている。稲刈りが近いかもしれない。それにしても、この路線は意外というべきか、海べりを走らない。海が見えたのは大津港の手前あたりなどわずか。
 いわき8時48分着、50分発。もともと少なかった乗客は大半が降りて車内はすっかり空いた。四ツ倉を過ぎて再び海が近づいた。大きな波浪が恐いくらいだ。波を見て恐いと感じるようになったのは大震災以降か。
 広野9時13分。ここまでは震災の年2011年12月30日に来ていた。あの時、原発の影響を直接知りたくて来たのだが、常磐線はこの先は不通となっていた。この駅は福島第一原発から30キロ圏の内側に位置していたのだ。
 それで、タクシーで行けるところまで行ってもらったのだが、10分も走らないうちに道路は封鎖されていて行く手を阻まれた。警察車両が厳重に警戒していた。途中、道路沿いの住宅は真新しかったが、すべてカーテンで閉ざされていた。人っ子一人いなくてまるでゴーストタウンのようだった。乗ったタクシーの運転手は原発事故に話が及ぶと悔しさからか話すほどに興奮してくるようだった。
 4年近く経って、久しぶりに広野を通ったら、駅周辺は再開発に着手されたようだった。宅地開発の看板が立っていた。
 広野から先、木戸を間に竜田までは昨年復旧した区間。途中の木戸駅など駅舎はもとより沿線にも何の傷跡も見当たらなかった。これが津波被害と決定的に違うところで、原発事故の無情な恐さだ。無傷な鉄道施設を見ていると腹が立ってくるようだった。
 竜田9時23分着。常磐線はここまで。線路はそのままその先へ無傷のまま伸びているのだが、この先は代行バス。鉄道は事故を起こした原発のそばを通るからで駅前にそのバスがすでに停車していた。9時35分発。10数人の乗客の大半がそのままバスに乗り継いだ。
 ただ、代行バスも竜田から原ノ町まで途中の8駅46.0キロをノンストップで走らなければならない。バスが発車したら車掌が「帰還困難地区を通過するので窓の開閉は遠慮して下さい」とアナウンスしていた。窓も開けられなほどの高放射線量の区間ということになるが、バスにも放射線量の測定器が積んであった。
 通行できるのはこのバスが走っている国道6号線だけで、バスはその国道を直進していて、途中、停車すらできない。楢葉、大熊、双葉、浪江などとニュースなどでたびたび耳にした町を通り過ぎる。警戒中の警察車両と頻繁に行き違う。
 沿道では、住宅のみならず工場もガソリンスタンドもすべて矢来を組んで閉鎖されている。交差する道路も厳重に封鎖されていて、辻々では警備員が警戒のため立哨している。生活が根こそぎ破壊されている様子がうかがい知れる。家がそこにあるというのに住めない無念さはいかほどか。放置された家々の中には朽ち始めているものも見受けられた。
 竜田と原ノ町を結ぶこの代行バスは1日2便のみ。それも1便目はこの9時35分発で、2便目は何と20時10分までない。東京から仙台までともあれ常磐線をつなげたという意味しかないような運行ぶりで、このバスに乗るために東京を早朝に発たなければならなかったのだった。
 ともあれ原ノ町10時35分着。定刻より15分早い。ここからはまた鉄道に乗り継ぐ。原ノ町は南相馬市の中心だが、駅前には今一つ活気が見られなかった。
 駅は大きくて、多くの側線があったが、その一つに4両の特急車両が止まっていた。これは回送電車ではなくて、前後の路線が不通となっているため、身動きがとれずに震災以降そのまま留置されているもののようだった。なお、普通電車についてはその一部を陸上輸送して活用しているということだった。
 原ノ町12時02分発に再び乗車。鉄道はやっぱりいい。スピード感が違うし、定時運行が保たれているし、安全性が高い。バスから乗り継ぐとそのことが実感される。
 しかし、鉄道が復旧しているのは相馬までのわずか4駅間だけ。相馬12時19分着。ここで再び代行バスに乗り継ぎ、12時30分発。
 ここから先は津波被害の影響で不通となっているのだが、バスは途中の5駅を各駅になぞりながら停車していく。国道6号線を進んでいるのだが、駒ヶ嶺のように国道からそれて鉄道駅まで入っていくこともあるが、大半は国道添いの停留所を仮の駅にしているようだった。
 亘理13時31分着。代行バスはここまで。ここからは鉄道はちゃんと仙台までつながっていた。亘理13時50分発。途中、岩沼で東北本線と合流したが、列車はそのまま仙台まで直進した。仙台着14時22分。なお、途中の坂元周辺からは復旧に向けた工事中の真新しい高架が見えた。
 JR東日本によると、常磐線不通区間のうち、亘理‐相馬間では2017年春までに復旧を果たすとしている。
 また、竜田‐原ノ町間については、小高‐原ノ町間を2016年春、竜田‐富岡間2018年春、浪江‐小高間2019年春と段階的に復旧を遂げていくものの、原発の影響が残る夜ノ森‐浪江間については復旧の見通しは立たないとしている。
 そう言えば、広野のタクシー運転手がかつて「津波被災地は金と時間をかければいずれは復興するだろうが、原発被災地は復活することはないのではないか」と語っていたその通りになってきたことを痛感したのだった。


写真1 竜田駅ホーム。上野から下ってくると常磐線はこの駅で行き止まり。原発の影響でこの先へは進めない。


写真2 原ノ町駅では、前後の路線が不通となり身動きのとれなくなった特急車両が留置されていた。


写真3 坂元駅周辺では復旧に向けて高架線の工事が進められていた。高架には「つなげよう常磐線」の標語があった。

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