2015/08/17

久留里線と久留里城

 つかの間の夏休みだが、遊びに来ている孫も放ったらかしして汽車に乗りに出かけた。それで、思案したあげく選んだのは房総半島の久留里線。
 久留里線とは、内房線の木更津から半島の山中へと分け入る路線。ただし、外房側へは抜けておらず、木更津‐上総亀山間32.2キロ、起終点含め全線14駅の盲腸線である。
 久留里線はなかなか不便な路線で、終点の上総亀山まで達する列車は朝の6時台7時台の各1本を逃すと次は13時台まで6時間も1本もない。実は、私はたいがいのJR線は2度くらいずつ以上は乗ったことがあるのだが、この久留里線はこれまでに1度しかない。途中の久留里までならそれでも1時間に1本程度はあるのだが、そういうことでなかなか機会がなかった。
 8月12日。木更津駅。東京湾に面した漁港の町。4番線ホームから11時12分発久留里行き。1両のワンマンディーゼルカー。
 生活路線にするにしてはなかなか不便だが、下りにしてはほぼ満席。帰省客も混じっている。しばらく田んぼの中を走っており、稲穂は早くも黄色く色づいている。この地方は温暖のようだから、生育も早いのだろう。青い空には入道雲が高く張り出している。
 4つ目の横田というところで半数近くが下車した。また、ここで上下列車の交換が行われた。俵田で山塊に迫り、次のこの列車の終着久留里は山中の駅だった。11時57分着。
 上総亀山行きまでは2時間ほどあり、この間に久留里の町をぶらついた。久留里は城下町。まずは何はともあれその久留里城へ。駅でもらった町案内のパンフレットによると、お城までは3キロちょっと、歩いて30分ほどの道のりらしいが、この日はいかんせん快晴の猛暑、炎天下歩くのはつらい。それで行きだけでもとタクシーにした。しかも、登りがきついらしい。
 麓から登り始めた。なるほどこれはきつい。山城である。それでか、登り口には杖が備えてあって、自由に使っていいらしい。私も1本借りて杖に助けられながら登った。また、看板によると、天守閣の位置は海抜145とメートルあり、麓からでは100メートルほども登ることになるらしい。
 汗だくになりながら登ること10数分で天守閣に着いた。再建されたもので、随分と小振りなものだった。ただし、天守閣からは重畳とした房総の山並みが眺望できた。このあたりは房総丘陵となっていて、さほどの高山ではないが、ここから望むと深い山々となっている。
 久留里藩は、初め里見家が起こし、その後江戸期に入っても幕府は重要な拠点と考えていたらしく、大須賀3万石、土屋2万石などと続き、幕末の黒田では3万石を与えられていたという。しかし、戦のことを念頭において築かれた城だけでに、山中の高いところに設けられたというように察せられた。なお、沢筋は違うが、山を越えて隣は大多喜城で、幕府がこの半島に大きな布陣を敷いていたことがわかる。
 天守閣から下っていくとすぐに久留里藩の歴史を伝える記念館があって、それによると、新井白石はここの出身だったとのこと。
 町に戻ると、道筋に井戸があった。ここは名水で知られたところで、いたるところに湧き出しているらしい。その一つで飲ませてもらったが、なるほど大変に冷たくておいしいものだった。ちょっと鉄分の味が強いように感じられた。
 久留里からは再び列車で上総亀山へ。13時50分発。2両に増えていた。大半が下車したが、残った人も久留里から乗った人も大半が鉄道ファンとおぼしく、その数5、6人ほど。山中を走って14時08分終点上総亀山。行き止まりの終着駅である。
 この路線は時刻表で調べてみると、上総亀山から木更津に向かう列車は、朝5時台から8時台まで5本もあり、帰りの列車も木更津発が3時台以降6本ある。つまり、木更津への通勤列車としての機能はかろうじて保っているようだ。
 上総亀山駅で、乗ってきた鉄道ファンらしき連中は全員がそのまま折り返すようだった。ただし、私だけはここからバスで外房の安房鴨川へ出る。
 ただ、ここからのバス路線は鉄道時刻表にも乗っていないし、バス停も駅前にはないから気がつかないのかも知らない。私は初めてこの駅で降り立ったときもバスで外房に出たので知っていたが。
 同じ路線をそのまま戻るのもつまらないからだが、安房鴨川まで30分ほど。そこからは外房線で帰路についた。


写真1 久留里城天守閣。再建されたもの。


写真2 名水で知られる久留里の井戸水。街中に湧き出している。


写真3 上総亀山駅停止線と停車中の久留里線列車。

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