2015/06/05

葉室麟『春雷』

 直木賞を受賞し出世作となった『蜩の記』に続く羽根藩シリーズの第三弾。相変わらず静謐な世界と武士の矜持や哀切さが伝わってくる。
 羽根藩は豊後の小藩。財政破綻寸前で、再建をまかされたのが多聞隼人。備後の浪人だったところを召し抱えられて15年。藩主三浦兼清に気に入られて重用されてきた。
 兼清は若くして声望があり、平素は質素倹約に努め、学問を奨励してきていて、上杉鷹山にたとえられるほどに藩主藩士共々名君への道を歩んでいる。
 隼人は財政再建に向けて、借銀返済にあたっては実質的な踏み倒しを行ったり、年貢の取り立てが苛斂誅求を極めたりしていて、隼人のこうした強引なやり方に町民や百姓らは<鬼隼人>と呼んで反発している
 これにまるで呼応するように藩士たちの間にも隼人を糾弾する声は高まり、誅伐を与えようとする動きも顕在化してきて、圧政を進める隼人の専横は名君を貶めるという敵対化が強まるにつれて、兼清自身も次第に隼人が疎ましくなってきていた。
 こうした動きの中で、隼人は黒菱沼干拓に着手する。羽根藩ではこれまでも挑戦しながら失敗している曰くのある工事で、着手にあたって隼人は、権限強化をもくろんで家老への取り立てを願い出て許可される。
 黒菱沼干拓で登場してくるのが、大庄屋佐野七右衛門。<人食い七右衛門>と恐れられていて、干拓工事の名手といわれながら、百姓の手間賃すら払わないとののしられている。
 もう一人は千々岩臥雲。藩内きっての学者にして土木に長け、工事の図面が引ける。ただし、<大蛇>のあだ名があり、乱酔の上女を斬ったとして投獄されている。
 鬼、人食い、大蛇と揃ったところで黒菱沼干拓はどのように進むのか。藩内では干拓工事を妨害し、隼人を追放しようという動きが急を告げてくる。
 それにしてもわからないのは、15年前に一介の浪人ながらすんなりと召し抱えられたこと。しかも藩主の気に入りがあったとは言えとんとん拍子の出世。当然のことながら古参の藩士たちにはねたみもあるし、隼人を忌避しようとする動きは根強い。
 そこには、15年前に召し抱えられた折の驚愕の事実があったのだった。
 かくて兼清は名君となり得たのか。
 妥協を排し自己の信念に基づいて突き進む男の生き様。そこには優しさも垣間見えて救われる。とくに主人公の周辺に生きる女性の姿が美しい。
 ただ、『蜩の記』から4年、シリーズ第二作『潮鳴り』は読んでいないが、本作では手だれた作風とはなっていたものの、第1作に比べ腹の底からの感動はやや薄かったように思われた。
(祥伝社刊)


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