2015/05/29

最相葉月『ナグネ』

 中国朝鮮族の女性との交流を描いたノンフィクション。女性の名は具恩恵(グ・ウネ)。19歳で留学生として来日したときにふとしたきっかけで知り合い、身元保証人となってきたのだった。なお、著者は人名や地名など固有名詞には漢字に現地読みのルビを振っている。
 物語は、恩恵の故郷ハルビンに二人で向かうところから始まっている。2014年1月24日。空港に迎えに出た父親の具学哲とは朝鮮語で話している。
 朝鮮族は中国の少数民族の一つで、人口約183万人。吉林省や黒竜江省、遼寧省など中国東北部に集中している。
 実家では、恩恵の母の安明花や次姉の具恩花、その夫の孫太学らに迎えられ歓迎を受ける。
 恩恵の実家には、二、三十畳もある大広間の壁には天井から茶褐色のカーテンが吊られており、正面には金色の布製の十字架が縫い付けられていた。
 中国の信教の自由はあくまでも表向きで、宗教団体は政府の管理下に置かれ厳しく監視されているのが現実、とくにこの家のような非公認の教会は制約が多く、地下教会としての活動となっていた。
 著者はハルビン滞在中、中国朝鮮族の暮らしを知る一方で、中国の対日関係について否応なく向き合わせられることとなる。
 家族の案内で訪れた侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館でのこと。ここは戦時中細菌兵器の開発を行った、いわゆる七三一部隊の施設跡だが、「この地で行われた残虐行為について私たちはあまりにも知らなすぎる」と述べ、「日本政府と日本国民は分けて考えなさいと教えられてきた恩恵たちの歴史認識に甘えた結果、加害の歴史に無知な国民が出来上がったのである」と断じている。
 しかも、戦後、七三一部隊の隊長だった石井四郎は自分たちの免責を交換条件として実験データを米国に渡し戦犯となることを逃れたし、ほかにも実験に参加した幹部研究者は訴追を逃れ、大手製薬会社や国立予防衛生研究所、大学医学部教授などに迎えられたという事実に直面する。
 そして、「加害者として、アウシュヴィッツ強制収容所を含む自国の負の歴史を検証・保存したドイツ国内のユダヤ人追悼施設と違い、自国の加害を被害者たちに突きつけられるのはいたたまれない」としながらも、「同じように人体実験を行ったナチス・ドイツの医師は国際裁判で裁かれたのに、こちらはお咎め無しであるどころか、戦後日本の医療を牽引する人材となった」と痛恨の情を吐露している。
 著者は、このハルビン行のあとは、ナグネ(旅人)として生きていく具恩恵の生い立ちや、日本での生活などを丹念に追いながら、日本人に冷ややかに遇される日本における中国人留学生の立場、中国人の間や朝鮮人の間でさえ低く見られる中国朝鮮族の位置づけなどについて筆を進めている。
(岩波新書)


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