2015/05/26

神田川紀行:聖橋

 当社産報佐久間ビルは神田川を背にして建つ。神田川を眺めながら仕事をしているわけで、当然神田川には愛着もある。
 神田川は、三鷹市の井の頭池が源で、隅田川に至る。全長24.6キロと短いながらも一級河川である。
 この間に140の橋が架けられている。ただし、鉄道橋なども含めると150にもなるらしい。わずか25キロ程度でこれほどの数だからさすがに都心を流れる川と言える。
 秋葉原日記そしてこのAKIBAノートでは、神田川及びその橋についてはこれまでにも随分と取り上げてきた。
 ただ、秋葉原は神田川流域の中では下流に位置しており、これまでに取り上げた橋は秋葉原域内ということで昌平橋より下流側ばかりである。
 すなわち、昌平橋、万世橋、神田ふれあい橋、和泉橋、美倉橋、左衛門橋と下り、ここまでが神田の内。そして浅草橋さらに河口に位置する柳橋までは辿った。
 そこでこのたびは、神田川を上流に向けて遡上していこうという試み。橋は130以上もあるから果たしてどうなるか。
 まずは、昌平橋の次の聖橋から。この橋も、右岸(南側)は千代田区神田駿河台で、左岸が文京区湯島である。JR御茶ノ水駅に接していて、秋葉原寄りの聖橋口を出ると目の前が駿河台で、橋を渡ると湯島という具合である。
 御茶ノ水駅は、JRの中央線と総武線が走っていて、総武線としてはここが千葉に向けての起点である。なお、対岸には地下鉄丸ノ内線の御茶ノ水駅がある。
 駿河台側には目の前に日販(日本出版販売)のビルがあり、その陰になって見にくいがとなりがニコライ堂である。正式名称を日本ハリストス正教会復活大聖堂といい、ビザンチン様式の建物が威風堂々としている。丘の上にあるから昔は遠くからも眺望できていて都内の名所だった。松本竣介が好んで題材にした。現在では高層ビルが林立していて見つけにくくなった。
 橋は本郷通りに架かっていて、JR線と神田川を渡る。御茶ノ水駅のホームが真下に見えるほか、神田川も眼下に見ることとなる。このあたりは谿谷となっており、深い谷を渡っているのが見て取れる。
 橋上から下流側を望むと、眼下に地下鉄丸ノ内線が神田川を渡る様子が見られる。この部分では地上に顔を現しているのである。また、その上を総武線が跨いでいて、その奥には総武線の鉄橋と昌平橋を望むことができる。
 橋を渡ると聖橋の由来を示す石碑が建っていて、それによると、現在の橋は関東大震災の復興事業として架橋されたもので、1927年(昭和2年)の完成とある。
 渡った左側が東京医科歯科大学で、右が湯島聖堂である。神田川と並行している通りが外堀通りで、神田川もこのあたりは江戸城の堀の役目を担っていたことがわかる。
 湯島聖堂は五代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟である。現在もそうだが広大な敷地で、当時は昌平橋学問所もここにあったらしい。現在の敷地内には廟のほか孔子像などがあってゆかしき雰囲気を醸し出している。
 なお、蛇足だが、湯島天神はさらにこの奥にあって、お互いに近所なものだから受験シーズンなどご聖堂と天神様を取り違えてお参りする者もいるらしい。もちろん、ご聖堂にお参りしても御利益はあるのだろうが。そういうことで、おびただしいほどの絵馬が奉納されている。
 結局、神田川を挟んで湯島聖堂とニコライ堂があるところから、この橋を聖橋と命名したものである。
 湯島聖堂側から聖橋を望むと、美しいアーチ橋であることがわかる。神田川を代表する景観であろう。
 この聖橋が最も美しく見えるのは、実は神田川の船上からであろう。秋葉原側から遡上していくと聖橋にさしかかり、その先にお茶の水橋とお茶の水谿谷が望める。この景観は都心とは思われないほどダイナミックなもので、両岸に高層ビルが建ち並ぶ様は大都会ならではの独特の形式である。
 船上から聖橋を眺めるには、神田川を往復している神田川クルーズに乗船するといい。発着所は、産報佐久間ビルの脇の船着き場である。

 


写真1 船上から見た聖橋。奥にお茶の水谿谷が望めるダイナミックな景観である。(2011年10月29日撮影)


写真2 聖橋上から下流側を見た景観。左手前が丸ノ内線、右上が総武線電車である。奥に昌平橋が望める。


写真3 聖橋の由来は、湯島聖堂とニコライ堂が神田川を挟んであるから。こちらはニコライ堂。

お勧めの書籍