2015/02/27

矢作俊彦『フィルムノワール/黒色影片』

 神奈川県警嘱託二村永爾が、大女優桐郷映子から香港に行って男を探して欲しいと依頼される。
 二村はある不祥事で捜査一課刑事の職を失っていたが嘱託として戻っていて、その二村に小峰一課長を介して映子の依頼があったのだった。
 男は映子の運転手のような者で、映子から香港で古い映画を手に入れてくるよう指示されていたのだったが、連絡が取れなくなっているのだった。
 その映画とは、映子の父桐郷寅人が監督したもので、題名は付いていなくて単に「作品42」と呼ばれている。1983年の制作。
 香港に渡った二村を待ち受けていたのは香港の暗黒街。これが実に生き生きと描かれている。
 ここからの物語は極めて複雑。誰が味方で誰が敵なのか。タイトルもないようなこの映画にどのような価値があるというのか。今となっては見た者すらいないというのに。
 本書の魅力は二つ。
 一つは徹底して映画がダシとして使われ、おびただしいほどに引用されていること。著者はよほどの映画好きらしいが、読者も映画好きならこれはこたえられない面白さ。
 「曇天の丘の嶺でベルイマンの死に神と数珠つなぎになって踊るにはもってこいの風情だった」。これは『第七の封印』からの引用か。不幸ではなく、不吉な影ということ。
 「何だそれは? アラン・レネじゃないだろうな」
 「ローマの中央駅で気の毒な英語教師を急かせた音によく似ていた」
 「今ならアンソニー・パーキンスでも捕まえられる」
 こんな具合で、映画の場面を思い出しながらにやにやしながら読み進むこととなる。ただ、映画を知らないとぴんとこないかもしれないが。
 とにかく饒舌。駄洒落も多いし、いちいち比喩を多用した文章。
 「数万の笑いが渦巻いていたが、どの笑いも黒くなったバナナの皮のように疲れていた」「溶接工の手袋のようなグローブをしていた」「風水師の意見が建築家の良心を上回った見本のような香港のマンションだった」などとある。
 舞台は横浜と香港。
 横浜については、「親不孝通りは、伊勢佐木町商店街と国道16号という二枚の厚切りパンに挟まれた、腐りかけのハムみたいな隘路だった」とあるし、香港については、「この街に来て最初の夜だ。とりあえず美味い中華料理を食べようって、ホテルのフロントに聞いたもんさ。゛チャイナタウンはどこですか゛ってな」「相手は長いこと考えて、こう答えた。多分、横浜にならあるでしょうとさ」。笑わせる。
 この調子で570ページの長編。いささか冗漫と感じるか、退屈と思うか、食傷気味となるかは読者次第。
 謎解きも読者次第。複雑に絡み合った筋書きに惑わされずに、それよりも何よりもレトリックに振り惑わされずに、早くに伏線に気づけば何とか読了できる。
(新潮社刊)


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