2015/02/19

高まる復興の槌音

 東日本大震災4年目となる三陸の被災地取材も2月18日は現地入りして三日目。
 それより一日前の二日目2月17日は、結局、朝に発令された津波注意報によって身動きがとれなくなり、2時間ばかり足止めされた。
 ただ、誤解を恐れずに言えば、滅多に得られない希有な体験だった。それにしても、それこそ経験が少ないからでもあるだろうが、津波注意報のもとで避難してじっと待機しているというのは不安が募るものだ。
 津波注意報が解除されるや、当初計画通り、急ぎ宮古を振り出しに山田、大槌、釜石を経て大船渡に向かった。また、三日目の18日には陸前高田にまで足を伸ばした。
 太平洋に面している国道45号線をひたすら南下したわけだが、大きな印象としては、沿道のそれぞれの町でやっと復興工事が本格的に始まったなというものだった。4年目でこの状況は果たしてこれが早いものか、遅いと言わざるを得ないものかどうか。
 私は、20年前の阪神・淡路大震災の折りにも、震災直後から5年間毎年欠かさず被災地を訪れていたのだが、神戸の被災地の復興は早くて、毎年訪れるたびに大きな変化を目撃していたものだった。5年目には痕跡は探さなければ見つからないほどではなかったか。
 もちろん、阪神では地震による建物や橋梁の倒壊やインフラの破壊が中心の被害で、地震もさることながら津波被害が中心となったこのたびの三陸とはまるで様相が違う。
 津波は町を壊滅させる。まるで焦土と化している。無残である。阪神では自分の敷地を確認することにさほどの苦労はなかったのではないか。それが、三陸ではどこが自分の家だったのか、線を引くことさえ困難な状況が現実だ。
 また、津波には、一線を画する恐さがある。例えば、陸前高田では津波被害を受けた5階建てのアパートが今も残っていた。それが、津波が押し寄せた4階までは完全に破壊されているのに対し、津波が届かなかった5階部分だけは無傷なように外観上見える。この差は無情である。
 山田、大槌、大船渡、陸前高田と訪れた被災地では、おびただしいほど大量のダンプと重機が投入されている。
 各地で今行われているのは市街地の土地の嵩上げ工事だ。盛り土を行っているわけだが、その高さは数メートルにも及ぶ。ある町では最も高い部分で14.5メートルと表示しているところがあった。途方もない高さである。
 この土の運搬にダンプが投入されているわけだが、特異なのは陸前高田の工事の仕方。土の運搬にベルトコンベアを活用しているのである。
 山を崩して高台移転用の造成を行っているわけだが、崩した土を市街地に運んで嵩上げしようというもの。この運搬をベルトコンベアが行っているもので、街中至る所にベルトコンベアは伸びていて、その総延長は実に3キロにも及ぶ。
 必要な量の土をダンプで運んだら10年もかかるといわれるものが、ベルトコンベアなら2年もかからないというからその威力は大きい。もちろん初期投資は大きいのだろうが。
 どこの町もこぞって盛り土によって土地の嵩上げを行っている。それがどこに行っても真っ最中というのが今日の状況。
 しかし、これも誤解を恐れずに言えば、これほど膨大な労力と資金を投下して再構築している町だが、もちろんそれは住民の安全安心を確保する上で必要なことではあるのだろうが、同時に、そこで興す産業は震災前と同じでいいのだろうかということ。
 つまり、いったん町を離れてしまっている若者たちを呼び戻す魅力ある産業はどうやって構築するのだろうか。
 私にはハードが積み上がっていく様子は見えたものの、各市町村がまとめ上げた復興計画においては、ソフトの再構築はまだまだ弱いようにしか思えなかったのだが。


写真1 被災地では盛り土による土地の嵩上げ工事が真っ最中


写真2 土の運搬に活躍している陸前高田市のベルトコンベア。総延長は実に3キロにも及ぶ。


写真3 津波の恐さ無情さを伝える5階建てのアパート。4階までは津波に破壊され、5階部分だけは残っている。

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