2015/02/17

大震災4年目の被災地

 昨日16日から三陸に来ている。東日本大震災から4年目となる岩手県沿岸部の被災地を巡り復興状況を取材するのが目的。いずれの地もきちんと毎年訪れていて、いわば定点観測を行っているようなもの。
 第一日目の2月16日は、盛岡からレンタカーでまずは田老(宮古市)に入った。
 ここも旧町域がほぼ壊滅した。度重なる大津波から町を守ろうと、高さ10メートルにも及ぶ防潮堤がぐるっと2キロにも渡って町を取り巻いていて、それは「万里の長城」と呼ばれるほどに町民の誇りだった。その長城をもこのたびの大津波は越えて町を襲ったのだった。
 震災直後に訪れたときには、まるで焦土と化していた。家々はのみこまれ、船が陸に乗り上げ、自動車が散乱していた。
 震災から2年目には、膨大ながれきの処理が行われていたものの、復興計画もまとまらず、復興の槌音は聞こえなかった。
 3年目になってやっと復興の槌音が聞こえ始めていた。防潮堤の嵩上げ工事が行われ、住宅の高台移転工事が緒についてはいたが、その歩みはまだのろかった。
 さて、4年目の今年。復興工事が本格化していた。おびただしいほどのダンプが行き交い、重機がうなりを上げていた。これは震災直後以来ではないか。震災2年目3年目ではダンプの数すら少なかったのだった。
 崩れなかった旧来の防潮堤に70センチ嵩上げする工事は完了していた。また、ここの防潮堤はXの字を描いていたのだが、一部が損傷を受けてしまっていて、新たにTの字になるように設計が見直され、それも高さ14.7メートルという途方もないもので、完成すれば長城をも上回るものと思われた。
 住宅が移転することになる高台の造成工事が急ピッチで行われていた。町の北側に位置する山林を造成しているものだが、ここは161戸の戸建て住宅と、80戸分の震災公営住宅が建設されることとなっている。宮古市田老総合事務所によれば早ければ今年の秋にも移転できるのではないかとのことだった。
 また、町の中心部を南北に縦貫していた国道45号線の付け替え工事も進められていた。1メートルから3メートルの盛り土を施していて、これ自体も最後の砦、第2段目の長城のように思われた。
 旧田老町域ということで見ると、町は2011年3月1日の時点で、1593世帯、人口4434人だったのだが、すでに1000人以上が亡くなったり町域外に出ていて、復興工事が完了したとして、果たした何人が戻ってくるものか、はなはだ心許ないようにも思われた。
 それは地元にどれほどの産業が再び興るのかということが課題となっている。これまでの水産業に加え、若者たちにも魅力ある産業が立つものかどうか。町では観光などにも期待しているようだが、その成果ははなはだ不透明だ。



写真1 復興工事が本格化した田老の町。


写真2 住宅の高台移転工事が急ピッチ。


写真3 1-3メートル嵩上げし国道の付け替え工事。

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