2015/01/09

熱塩温泉と日中線記念館

 このたびの磐城-会津-越後と巡る旅では、途中、福島県の喜多方で下車し、熱塩温泉に宿泊した。
 熱塩温泉は、喜多方駅の北方10数キロのところ。平日はコミュニティバスが運行されているらしいが、この日は土曜日、生憎と運休で、宿のマイクロバスが迎えに来てくれた。
 駅から約20分、会津盆地が終わり、山間に入りかかったところにあった。飯森山の麓にあたる。このまま進むと県境を越えて山形県へと至る。
 旅館6軒で構成されている小さな温泉場だが、名前の由来の通り、湧き出す温泉は熱く、しかも塩っぱいらしい。古くから湯治場として親しまれてきたという。
 泊まったのは山形屋という旅館で、この温泉場の中では最も規模が多きいようだった。鄙びた温泉宿を想像していたが、あまりの立派さにびっくりしたほど。
 着いてまずは何はともあれ風呂へ。大きな湯船が一つ。浸かってみるとぬるくはないがあまり熱くもない。42度くらいか。熱い湯が好きで、その名前からして熱いであろう温泉を期待してきた自分にとってはやや物足りない。
 吹き出し口に手をかざしてみたら火傷しそうなくらい熱い。源泉は65.5度と高温らしい。大勢の客に提供しなければならないからこれも致し方ないが、できれば湯船を複数にして、様々な好みに対応してくれればありがたい。
 温泉も夕方は大勢の入浴者がいるのでどうしてもぬるくなる場合がある。それで、早い時間帯ならば熱い湯になっているかと思って翌朝5時前にもう一度入ってみたが、湯温はまったく変わらなかった。
 なお、お湯をなめてみたらなるほど少々塩っぱい。塩化物泉らしい。これはそのまま温泉名に合致していた。
 温泉宿の楽しみは温泉の次が食事。これが第一という人も少なくいないに違いないが、これがすばらしかった。
 とにかく地の材料を使って丁寧に仕立てられていた。煮た大根の上に添えられているのがヤマメの子。小さな粒が金色をしていてとても珍しい。美しいピンク色をしていたのは会津マスの刺身。合鴨とカブの煮物もあった。
 氷頭(塩鮭の頭)と大根おろしと黒豆の和え物は南会津の郷土料理らしい。ゴボウを鶏肉で巻いた天ぷらも出たが、これはびっくりするほどおいしかった。うどんが入った茶碗蒸しはこの宿の工夫らしい。
 郷土料理というと、ややもすると押しつけがましくなる場合があるが、この宿の場合は材料を吟味し料理がしゃれていて斬新だった。
 そしてもう一つ肝心なこと。この宿で感心したのはおもてなしがよかったこと。すべてのサービスが行き届いていた。はっきり言って、こんな鄙びた温泉宿でこれほどの料理とおもてなしを受けられるとは思わなかった。
 ところで、この熱塩温泉と喜多方の間にはかつては鉄道が通っていた。旧国鉄の日中線で、喜多方-熱塩間11.6キロを結んでいたが、国鉄再建の渦中で廃線となった。
 もともと運転本数も朝夕夜の3本のみと少なく、「日中に走らない日中線」などと揶揄されていたらしい。
 この日中線の終着駅熱塩駅の駅舎が現在は「日中線記念館」となっていた。まるで埋もれるほどに雪に覆われて線路跡などは確認することはできなかったが、駅舎は記念館として立派に保存されていた。なお、記念館から温泉街までは徒歩10分ほど。
 なかなかしゃれた駅舎で、出札窓口、駅長室、待合室、改札口、ホーム、駅名標などがきちんと保存され往時を偲ばせていた。また、ラッセル車に連結された客車も留置されていて、自由に見学できるようだったが、この日は雪かきが間に合わなくて近づくことができなかった。
 記念館には、熱塩温泉旅館組合の職員だという年配の係の人が詰めていて、丁寧に案内してくれた。
 その解説によると、日中線が開通したのが1938年(昭和13年)。当初は野岩線、会津線と結んで羽前に至る野岩羽線構想というのがあって、日光から米沢を結んで関東北部から東北南部を縦貫する雄大な計画があったらしい。
 その計画も太平洋戦争の激化で頓挫し、ついには1984年(昭和59年)廃線となってしまた。
 私は、全国の鉄道の全線を乗りつぶしたことがあるが、この日中線には乗らずじまいであった。鉄道に興味を持つようになったのが遅かったからだが、それにしても、東武鉄道を鬼怒川温泉でAIZUマウントエクスプレス号に乗り継ぐと、現在でも野岩鉄道、会津鉄道、磐越西線を経て喜多方に1本の列車で一直線に至ることができるのだが、それがさらに日中線を経由して熱塩温泉に達するというのは考えるだに楽しいことのように思える。


写真1 熱塩温泉街。左が山形屋。


写真2 雪に埋もれそうな日中線記念館。しゃれた駅舎だった。


写真3 旧熱塩駅の駅舎がきちんと保存されていた。ホームと改札口。左の雪の下が線路。

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