2014/11/06

下館(茨城県筑西市)

 先週末つくばに所用があって出掛けた際、その用は昼前には片付いていて、折角遠出してきたのにまっすぐ帰ったのではもったいないと思いながらどうしたものかと思案をしていて、つくばそのものは何度も訪れていて研究学園都市があるだけで格別の風情もないし、それで思いついたのが下館。こういうことでもないと訪ねることもないところだし、少し足を伸ばして帰途立ち寄ってみた。
 下館へは、つくばエクスプレス線の守谷から関東鉄道常総線で向かう。常総線はJR常磐線の取手と水戸線の下館を結ぶローカル私鉄。守谷は常総線で真ん中よりやや取手寄りに位置していて、下館までは約1時間の道のり。このあたりは北総台地の北東辺あたりか、あるいは筑波山の西麓か、沿線は豊かな田園地帯となっていたが、稲刈りが終わった田んぼはなおさら広く見えて、関東平野の広大さが実感できた。
 下館駅は、関東鉄道常総線のほか、JR水戸線、真岡鐵道真岡線の3社3線が乗り入れる鉄道の要衝で、なるほど、3社3線が隣りあう駅構内は多くの側線が配線されていてローカル駅とは思われない大きさ。
 この下館駅を通ったり乗り換えたりするのはこれまでにも幾度かあったものの、この駅で下車したのは実はこれが初めて。
 駅でいただいた市街図によれば、下館の街は、駅からまっすぐ北へ延びる稲荷町通りという大通りの左右に開けてるらしい。また、この通りの突き当たるあたりには下館城趾があるらしい。
 それで、まずはこの城趾めがけて大通りをまっすぐに歩いて行ったのだが、しかし、大通りばかりではやはり味気ないし、脇道に通りをそれながらぶらぶらと歩を進めた。
 途中から明らかに坂道となり、その登り切ったところに下館小学校があり、その隣に城山八幡神社という小さな社があったが、このあたりが下館城の跡らしい。神社の境内にそのような標柱が立っていたが、それがなければ城跡とは気がつかない。この神社と小学校の裏手には勤行川という川が流れていたが、これが天然の堀だったのだろうか、ほかに周辺には遺構らしきものも見当たらなかった。
 ただ、神社の境内には下館城の所縁を描いた絵図面が掲示してあって、それによると往時はそれなりの城郭だったらしい。また、その看板の解説によると、下館藩は縷々変遷があったあと、石川氏が2万石で入り9代130年を経て明治維新を迎えている。代々譜代大名が領主となっていた模様だ。
 また、境内にはもう一つの看板が立っていて、それには大飢饉の折りには二宮尊徳を招聘して藩改革を進めたとあり、二宮尊徳は藩の覚悟を知るためにしばらく承諾を留保していたとも記してあった。二宮尊徳はなかなかの人気であちこちの藩から呼ばれてもいたらしい。
 帰途も街をあちこちとぶらぶらしながら歩いて行ったが、それでわかったこと。下館城趾に格別の遺構も見つからなかったものの、街路のたたずまいにそれらしき名残が見られたのである。つまり、街を南北に貫く2本の大通りはともかく、その周辺の細い通りは鍵形に突き当たるものが大半で、いかにも敵の侵入を一直線には進めさせない城下町特有の風情が感じられたのであった。
 また、強いていえば、立派な構えのお寺が多いことと、和菓子屋の多いこともあるいは城下町の名残として見立ててもよいものかもしれない。
 実は、この下館を訪れるについてはいささか動機付けがあって、この少し前、安西水丸著『小さな城下町』という本を読んで、そういうところをぶらぶらするのもいいだろうなと感じていて、機会があれば是非まねて実行してみたいものだと考えていたのだった。
 なるほど、その城下町散策をそっそく実践してみて、これはなかなか味わい深いものだったと納得もしたのだった。とくに、この下館という街が、市街中心にある下館駅から下館城趾までが徒歩20分ほどであり、2万石の城下町というのがぶらぶら歩き回るに適当なサイズの街だったというのも幸いした。


写真1 街の中心に位置する下館駅


写真2 下館城跡を示す標柱


写真3 鍵形に曲がった街路が城下町の風情を残す

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