2013/12/13

ジャカルタ雑感

 昨日12日ジャカルタから帰ってきた。
 7日土曜日に着いて、11日水曜日に発ってきたから、滞在はわずか5日間のこと、しかも初めての訪問だから、何ほどのこともないのだが、ジャカルタの印象について書いておこう。なお、ジャカルタ発成田行きは深夜便だから、日付をまたいでの飛行だった。
 発展途上ということ。年率6%台の経済成長が続いていて、国に発展のエネルギーが感じられる。目抜き通りには超高層ビルが建ち並んでいるし、道という道は表通りも裏通りもすべて車とオートバイで埋めつくされている。このため、すさまじまでの渋滞が常態化しているのだが、これは経済発展にインフラの整備が追いつかないせいであろう。また、バス以外に大量交通機関がないということも状況をひどくしている。
 工業化の推進が顕著ということ。もともとエネルギーや鉱物の天然資源に恵まれていたし、人口世界第4位、2億4千万人という巨大市場が足下にあって、農業国だったインドネシアが工業化へばく進していて、このことがもちろん経済成長となっているのだが、その勢いはますます顕著だ。
 また、経済成長に伴って国民の所得も向上しており、一人あたり3千ドルを超えたということである。また、賃金の上昇も激しくて、ここ数年は年率30‐40%にもなっているということだ。
 11日の午前中にジャカルタ東部の郊外に日本からの進出企業を訪ねたのだが、沿道にはホンダなどの大工場が見えたし、訪れた先は一大工業団地となっていて、数多くの日本企業が進出していたし、次々と新たな団地の造成も行われているようで、ジャカルタ周辺では工業化の波が急速に進んでいる様子がうかがわれた。
 親日的な国民ということ。赤道に近く年中暑いから、国民性はやはりのんびりしている。また、大変親日的でもある。とにかく通りがかりでも私の顔を見ればにこにこしてくれてとても温和な気分になれる。
 この親日的な背景には国民性ばかりではなく日本との歴史的関係もあるのかもしれない。
 それは戦後先進工業国へと発展した日本への憧れもあるのだろうし、加えて、近代においてはオランダ統治時代の圧政の期間が長く、戦時中は日本の侵略もあったものの、日本の敗戦時、再びオランダが支配しようとした際、独立の激しい民族闘争が行われた。その時、解散された旧日本軍の軍人や軍属が独立戦争を支援したということである。独立を手助けしたというそうした背景も、親日性を強めているのかもしれない。
 とにかく、インドネシアではスカルノやハッタらが独立を宣言した1945年8月17日は特別の日で、ジャカルタの中心部には独立記念塔がそびえているし、その下部の博物館には、独立宣言の様子を描いた展示が重要なシーンとして扱われている。なお、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港名はこの両人に由来していることはいうまでもない。
 また、この親日的ということは、日本からの企業の進出を促してもいる。中国のような排日的な動きもないから、進出した日本企業にとっては民族問題で悩むこともなく、国民の情緒が安定していることは少なくない意味を持つのだろう。
 イスラム教の国だということ。町を歩いていると、女性ではスカーフをかぶっている者が目立つ。国民の7割強がムスリムだということである。このため、インドネシアは世界最大のイスラム教国ということになるらしいが、ただ、市内にはイスラム教寺院がそれほど多いようには思われなかった。もっとも、1日5回ほどか、イスラムの祈りが拡声器で大音響とともに流れているから、それとわかることにはなる。なお、民族的にはインドネシア人の7割強がマレー系だということである。
 イスラムの国だから、基本的には酒はないはず。しかし、日本人が入るようなレストランでは頼めば酒も出てくる。ただし、酒は料理に比べ値段が高いし、種類も少ない。もっぱらビンタンというビールを飲んでた。
 インドネシア料理はカレー味や唐辛子味などと辛いものが多い。麺類も多いし、鶏肉の串焼きなどは人気のようだった。いずれにしても、これは好みの問題だから一概に決めつけるわけにも行かないが、私としてはあまりおいしいものに出会わなかった。


写真1 スカルノらが行った1945年8月17日の独立宣言の模様。独立記念塔の博物館に展示されていた。


写真2 アジア最大規模だというイスラム教寺院


写真3 カレー味の鶏肉の串焼き

お勧めの書籍