2013/11/29

大江健三郎『晩年様式集』(イン・レイト・スタイル)

 後期の仕事(レイト・ワーク)と位置づけていた著者晩年の仕事がもう随分と続いていて、本書も『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』や『水死』の系譜に続く小説。
 著者自身は私小説ではないとあくまでも断っているが、本作も大江自身とその家族を登場人物に据えていることは明らかで、後期高齢者と自らを呼ぶ老練な作家による達者な小説。
 大江の作品を続けて読んでいない読者にとってはいささかわかりにくいが、「三・一一後」と繰り返し遣っている通り東日本大震災に遭遇して筆を執っていて、それに対する衝動と反応が根底にあり、同時に、本作を前作までと違って一層面白くしているのは「三人の女たち」というグループによる大江の作品に対する反論。
 なお、3.11とりわけ原発事故について、著者は、「この放射性物質に汚染された地面を(少なくとも私らが生きている間は……実際にはそういうノンビリした話じゃなく、それよりはるかに長い期間)人はもとに戻すことはできない。」……「それをわれわれの同時代の人間はやってしまった。われわれの生きている間に恢復させることができない…… この思いに圧倒されて、私は、衰えた泣き声をあげていたのだ。」などと書いている。
 ただ、本書を大江が原発事故についてどう向き合っているか知りたいなどということのためだけには読まない方がいい。そのことについて大江はすでに様々な行動を起こしているし、論評も明らかにしている。
 それよりも、大江の障害のある長男(作中ではヒカリ)が地震におののくようになったこと、しかも3.11以降どうもヒカリが父親に反抗する場面があってこれには驚かされた。
 反抗といえば、本作の面白さは「三人の女たち」のこと。三人の女とは、妹(作中でアサ)、家内(千樫)、娘(真木)のことで、3人はそれぞれの手記の中で大江(作中の長江)に対し反論を加えていて、これが面白い。
 それは、「しかしあの兄の一節にはウソがあって、(いまさら言うも詮無い事ながら、モデルにされた家族からいえば、兄の小説はウソだらけだが)、……」などとあって、これはもう立派な反逆みたいなものだし、大江のレイトワークに新しい視点が加わってこれはこれで面白い。
 終わりに長い詩が詠まれている。
 「初孫に 自分の似姿を見て、」としながら、
 この子の生きてゆく、歳月は、
 その過酷さにおいて
 私の七十年を越えるだろう。
と続けつつ、
 私は行き直すことができない。しかし、
 私らは行き直すことができる。
と結んでいて、救われた思いが募ったのだった。
(講談社刊)


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