2013/11/28

「アウト・オブ・ダウト」展

 六本木の森美術館で開催されている。同美術館の開館10周年記念展なそうで、日本現代アートのいまを問う‐との副題が付されている。
 在外者も含め日本に関係する現代アーティスト29人・グループの作品が展示されていた。いずれも1970‐80年代生まれということである。
 会場に入って冒頭迎えてくれたのが小林史子「1000の足とはじまりの果実」。おびただしい数の洋服と椅子で天井まで築き上げた壁。これに何か妙な美しさが感じられた。子細に見ればゴミの山でしかないのだけれども。しかも、まったく作者の意図するところはわからなかったが。あえて理屈をこねれば、屁理屈程度は言えるかもしれない。
 私は美術なかんずく絵画が好きで、美術館にも時々足を運んでいる。ただ、私の鑑賞は実に表面的で浅っぺらいもので、好きか嫌いか、美しいか美しくないか、感じるものがあるかないか、感動の第一印象を大事にするただそれだけのこと。とても作品を掘り下げて見るなどという能力は私にはない。もっとも、私自身はそれでいいと思ってはいる。
 この視線で見ていくと、この展覧会は意外に美しいものも面白いものも少なかったというのがまずは全般の印象。もっと率直に言えば何が何だかわからなかったということ。もっとも、私が絵画好きとはいっても、せいぜい印象派などポピュラーなもののこと、とても現代アートについていけないことはわかっている。
 そういう中でいささかでも面白かったのが柳幸典の「ユーラシア」。柳は確か瀬戸内国際芸術祭の犬島で目にしていたし、私が知っているくらいだからすでに著名な作家なのだろう。この作品は世界91カ国の国旗を並べたもの。この中にはもちろん日本の国旗も含まれている。ただ、一つひとつが砂で固められていて、しかもそれが水のせいか虫のせいか一部浸食されて崩れかかっている。それぞれの国旗は縦と横に隣同士細いビニールチューブらしきもので連結されている。この作品をどう受け止めるか(私自身はそういう見方は好きではないが、あえてもしそういうことが必要だとすれば)、私にはグローバル化時代の国家の危うさというものが感じられた。
 わかりやすかった(と勝手に思い込んでいる)のは風間サチコの「人外交差点」。渋谷駅前を細密に描いていて、TOKYUがTOKKOUと置き換えられて大書されているからパロディでもあろう。ガスマスクをして逃げ惑う人々。警官に綱をつけられて連行される主義者たち。汚染防護服を着ている人々。背中に番号が打たれている人々。反戦、反原発、反管理社会を言い表したかったのだろうか。それにしてもこのテーマこの手法はもはや陳腐化してはいないか。また、私にもわかりやすいというほどだから目新しさもなかったわけだし。
 意味も訳もわからなかったが(もっともアートはそれでいいのだが)、美しくて面白い試みだと思われたのが田島美加の「無題」など一連の作品。壁一面に流れるように作品は展示されていて、それぞれの作品の境界はわかりにくい。壁一面のキャンパスを地として、シルクスクリーンや色鮮やかなアクリル板を重ね合わせた作品が多くて、これが不思議な美しさをもたらしていた。
 また、面白いといえば、作品の中にル・コルビジェの絵画が取り込まれている場面があったことで、建築家ル・コルビジェに絵画の作品があることも新鮮な驚きだったし、なかなか独創的な試みだった。なお、コルビジェの作品は森美術館のコレクションらしかった。
 また、壁の前には絵画立てのような構造の木箱があり、いくつかの作品が収められていた。ただ、触っていいものかどうか判断できず触らなかったので中味はわからなかった。田島は、1975年アメリカ生まれ、アメリカ在住で、ニューヨークを中心に活動している。なお、田島の作品が日本で公開されるのは初めてということである。
 実は、田島さんは私の友人の娘さんで、パリのポンピドーセンターなどで展覧会を開催しているといった活躍ぶりはかねて伺っていて、どういう作風か関心があった。友人である田島さんの母もキラキラした才能がほとばしる地球物理学者だが、その娘さんが芸術という分野で才能を開花させているというのはとてもうれしいことだった。
(このたびの展覧会では、写真撮影の許される作品と許されない作品とがあり、田島美加の作品は残念ながら許されなかった)

 


写真1 小林史子「1000の足とはじまりの果実」


写真2 柳幸典の「ユーラシア」


写真3 風間サチコ「人外交差点」

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