2013/08/23

藤野可織『爪と目』

 今期の芥川賞受賞作である。
 はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。
 これが書き出しで、これを読んで初めちょっと戸惑った。二人称の小説なのである。読み手をいらいらさせ、不気味な物語にこのスタイルは似合っている。二人称の小説に成功例は少ないがこれはうまくいっている。
 「あなた」は父の不倫相手。20代半ば。派遣社員の暮らし。父とは勤務先のビルにある目医者で知り合った。容姿は取り立ててすぐれたものではない。ただ、男性が自分に向けるほんのわずかな性的関心も鋭敏に感知する才能があった。
 「父」は30代後半。それなりに名の知れた企業に勤めている。
 この物語の語り手でもある「わたし」は、父の娘。母との3人暮らし。わたしは3歳である。
 ある日母が自宅マンションのベランダで死んでいるのを父が発見した。事故として処理された。2カ月ほどして、1年半ほどあなたとつきあっていた父はあなたに結婚を持ちかけた。ただ、半年ほどとりあえず同居して、3人でやっていけるかどうかはきみ自身で判断を下してほしいとのこと。
 3人での暮らしが始まった。あなたと父の性行為はうまくいかなかった。父は自分の能力を確かめるために、別の女性と関係した。それで、不能になってしまったわけではないことを知ってほっとした。
 あなたは、父が浮気をしていることにすぐに勘付いた。だからといって、あなたは父の持ち物をあさったり、口に出して問い詰めたりといった面倒なことをするつもりはなかった。あなたは、いっそ気が楽だったのだ。父が今までの生き方を変えない以上、あなただって今までの生き方を変える必要がないのだから。
 同居して2カ月もしないころ、あなたは愛人をつくった。古本屋の男で、わたしが幼稚園にいるあいだ、週に2、3回男のアパートに通った。
 こういう話がづっと続いている。淡々としていてクライマックスは見えない。冒頭にも書いたことだが、読んでいていらいらするし、不愉快にもなってくる。そして不気味なラストシーンへと向かう。
 この頃はこういう時代なんだなとも思う。そうだとすれば、この小説はよく書けている。賛成はしないし、感動もしないけれども。
 それにしても、ここ数年来の芥川賞作品は、日常の一瞬を切り取ったような作品が多くて、芥川賞は短編に与えられる賞だからそういうことにもなるのだろうが、ドラマをつくる創造性に乏しいように感じられる。文章は巧みだがそこには感動がないようだ。
 失われた20年と言われるが、それは日本経済だけのことではなく、日本の社会全体が平板になり、そのことが文学作品にも表れてきていると受け止めていいのだろうか。
(『文藝春秋』9月号所収)


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