2013/08/21

講武稲荷神社

 秋葉原駅の電気街口を出て、総武線のガードに沿って右脇をお茶の水方面に向かって進み、外堀通りに突き当たる少し手前、旧石丸電気の右隣にある。このあたりは電気街の奥に位置する。左側は昌平橋交差点である。地番でいうと旧旅籠町、現在の外神田一丁目9番。
 間口2間程度、10段に満たない石段の上に小さな社が鎮座している。
 正面脇に地元外神田旅籠町会設置による縁起由来の看板があって、それによると、安政4年(1857年)の鎮座で、当時、講武所の付属地だったこのあたりの払い下げを受けてこの神社が設置されたというようなことのようだ。
 珍しい名だが、講武所との縁があってこのような神社名となっているのだろうが、現在では大きなビルの影に隠れるようにしてあるし、訪れる人はもちろん、その存在すら薄いもののようだった。
 講武所といえば、幕末に黒船の来航に危機を抱いた幕府が旗本・御家人を対象に急遽設置した武術の訓練所で、当初、築地の鉄砲洲にあったが、その後、神田小川町に移転したことはよく知られる。
 神田小川町は当地のすぐ近所だが、この付属地が築地に講武所が設置された当初からあったものなのか、あるいは神田小川町に移転したことで設けられたものかどうかはわからない。
 ただ、このあたりは旅籠町という町名からも察せられるように神田の中でも花街のあったあたりで、当時は、そういうことでこの花街の芸者は講武所芸者と呼ばれていたようだ。
 幕末を描いた小説などでは、講武所の芸者は威勢がよいように描かれているが、同じ威勢のいいことではその代名詞みたいなものな神田っ子と対応するものだったのだろう。



写真1 講武稲荷神社正面


写真2 講武稲荷神社側面

お勧めの書籍