溶接の歴史

1800年〜1900年

1800年(寛政12)から1900年(明治33)まで
 この時期では、電池が発明されたことにより電気関連の実験が進み、発熱や磁場の関連原理などが次第に明らかになります。蒸気機関車のための鉄道網の整備や蒸気船による大西洋横断も実現し、発電機が大型になり、モーターへも関心が高まり、工場での電力化への道が開けてくるのです。わが国では、長崎以外でも外国船が出没し鎖国時代が終わりを告げることとなりました。
 溶接関係からみると、その基となるエネルギーや溶接材料が、欧州で姿を見せはじめ、ガス灯、アーク灯を通じて、これらのエネルギーを光利用から、工業規模になりつつある鋼などの金属への溶解への利用も考え始められ、アーク溶接とガス溶接が競合する形で登場しました。一方わが国では鎖国から開放され一気に西欧をモデルとする工業国への道を歩みはじめる時期です。

1800 ヴォルタ電池
 ヴォルタ(ALESSANDRO VOLTA)が、Ag(Cu)とZnとの間に塩水で湿らせた厚紙を挟んだものを一つのセルとして、これを何段か直列的に組み合わせることで、無機的な構造でも、電気が発生持続することを発見する。これは後に「ヴォルタのパイル」と呼ばれるようになったもので、これにより大きな電池を作り出すことが可能となり、1800年代を通じて電磁気学上での諸発見の基礎となる電源を供給することになる。*18[伊]

1807 アークの名付け
 当時、すでにヴォルタ電池の開閉時に瞬間的に火花の出ることは知られていた。デービー(SIR HUMPHREY DAVY)は、2,000個のヴォルタ電池を使い、水銀を浸した木炭片を電極にし、この放電火花を継続させることに成功する。そしてこの光をELECTRIC ARC(弧状の放電光)と名付ける。*18[独]

1810 クルップの製鋼所
 クルップ(FRIEDRICH KRUPP)が、エッセンに鋼鉄の製造設備を開設する。これがクルップ大製鉄工場の基礎となる。*15[独]

1812 ガス灯
 ロンドンガス灯コークス会社が設立される。これ以後20世紀四半期まで、石炭ガスによる照明が続くことになる。*15[英]

1815 アークでの溶解
 この頃まで、アークは光としての利用のみであるが、チルドレン(J.CHILDREN)がイリジウムや酸化セリウムを溶かしたり、蒸発させたりして、金属溶解への利用を試みる。*19 [英]

1819 鉄船の出現
 船の大型化と木材の入手難からはじめて鉄船(VARCAN)が登場する。[英]

1825 公共鉄道開通
 スティヴンソン(GEORGE STEPHENSON)は、ロコモーションと名付けた改造蒸気機関車を、ストックトンとダーリン間21KMを乗客を乗せ時速20-26KMで走らせる。*18[英]

1826 オームの法則
 オーム(GEORG S.OHM)は、熱の流れの観察から、電気にも同様なことが起こっているとの考えで多くの実験を繰り返し、I=E/Rの関係を誘導する。*18[独]

1826 銅の産出
 シーボルトの記述によると、文政9年における日本の銅鉱山での年間供給量は、四国で(8,000担 159)南部と陸奥(5,380担 341)秋田及び出羽(6,000担 159)合計1,390となっている。*5[日]

1813 モータ製作
 物理学者ヘンリー(JOSEPH FARADAY)が、電気を流すと円盤が回転する、実用的な機械を考案する。これがモータ(MOTOR:動くことを意味するラテン語)のはじまりである。*21[米]

1833 アルミの製造
 ファラディ(MICHAEL FARADAY)が、電気分解でアルミニウムのできることを示す。しかし、これの工業化の手法が開発されるのは、1886年になってからである。*15[英]

1835 ドライアイス
 ティロリェル(C.S.THILORIER)が、気体の液化実験で、液体二酸化炭素を狭いノズルを通すと、個体の二酸化炭素のできることを発見する。これが氷のような外観で、液体にならないのでドライアイスの名が付く。*21[仏]

1836 アセチレン製造
 デービー(EDOMOND DAVY)が、実験室で偶然に酒石と炭素から得たカーバイドを発見し、これに水を作用させると、光輝を発して燃えることを知る。アセチレン炎である。*13[英]

1839 写真の開発
 ダゲール(LOUIS DAGUERRE)が、銀の塩類に光を当てると黒変することを利用して、像を写し出す写真(PHOTOGRAPH:光で書くことを意味するギリシャ語)を開発する。*21[仏]

1840 ジュールの法則
 ジュール(J.P.JOULE)が、燃焼による発光も、熱を発生する電池も化学変化であると考え、電流による発熱量を調べ熱当量についての実験を繰り返し、ジュールの法則(W=I2R)を発見する。*18[英]

1849 アーク灯の出現
 アーク灯ができ、灯台などに使われた。*13[英]

1856 最初の抵抗溶接
 ジュール(J.P.JOULE)は、電気抵抗と熱に関係する実験をしていた時に、電気炉でワイヤの束を加熱していて、偶然に抵抗溶接が行われたことを知ったとされている。*19[英]

1856 鉄船の確立
 キュナード社が、長さ100M余の鉄製外輪客船(PERSIA)の建造したことで、造船での鉄の使用を確立する。[英]

1857 日本での高炉
 安政4年に大島高任が、陸奥釜石の大橋鐵山で洋式高炉を建設し精錬に成功する。*15[日]

1857 日本での機械工場
 オランダから輸入した機械類で、飽の浦鎔鐵所(長崎製鉄所)の設営工事が開始される。わが国はじめての洋式機械工場で、1861年に第一期工事が完成する。この工場は、幕府が欧米の西洋型艦船の入港増加に対応するためのもので、船舶の修理を目的としている。*15[日]

1860 ガスの液化
 これまで水素・酸素・窒素などのガスは液化しないと考えられていたが、アンドリウス(T.ANDREWS)が炭酸ガスの液化を検討し、それぞれの気体には固有の臨界温度があり、それよりも低い温度でガスの液化は可能であることを示す。*16[英]

1862 アセチレンの実用化
 ウェーラ(F.WOEHLER)が、カルシュウムカーバイドに水を作用させるとアセチレンが発生することを発見する。*13[独]

1865 アーク溶接の特許
 ウイルデ(WELDE)が、当時使えた幼稚な電源で、小さな鉄片を一緒に溶かし接合するのに成功する。これについて出した特許が、この年に認可される。これがアーク溶接についての、はじめての特許となる。*19[英]

1872 鉄道の開通
 明治5年、新橋−横浜間に日本最初の鉄道が開通する。[日]

1876 交流アーク灯
 ヤブロチコフ(P.N.JABLOCHKOFF)は、直交する炭素電極間でアークを飛ばし、電極の消耗が同程度になることを狙って、当時の常識である直流ではなく、交流を使うことでアーク灯の実用化への道を開く。そして翌年には、パリのデパートで電気キャンドルとして80個点灯させる。*18[露]

1877 船の鋼船化
 ロイド船級協会が軟鋼による造船を認めたことにより鋼船時代に入る。[英]

1877 酸素の液化
 カイユテ(L.P.CAILLETET)とピクテ(RAOUL PIERRE)が、酸素の液化に成功する。*15[仏、スイス]

1878 水力発電所の始動
 フランスの河川近くに、従来の蒸気機関によるものではなく、水力利用の発電所が小規模ではあるが出はじめる。*18[仏]

1878 化学会の創立
 明治11年、日本で化学会が創立される。翌年には東京化学会と改称する。日本化学会のはじまりである。*15[日]

1879 白熱電球の発明
 当時にはガス灯もアーク灯もすでにあったが、それらは工場や街灯用で、火災や光が強すぎるなどの欠点があったため家庭用にはならないでいた。そこで、エンジン(THOMAS A.EDISON)は炭素フィラメントを用い真空引きで、40時間以上も白熱状態を持続できる屋内用の電球を発明する。*18[米]

1883 特殊鋼の開発
 ハドフィールド(R. HADFIELD)は鋼に他の人が妥当と思われる以上にマンガンを加え、マンガン鋼を考案する。これにより、これまで9月毎に取り替えていた鋼製鉄道レールを、この特殊鋼に切り替え22年の耐用を示したことで、特殊鋼開発のさきがけとなる。*21[英]

1885 炭素アーク溶接法の特許
 炭素電極と母材間にアークを飛ばし溶加材を挿入する、炭素アーク溶接法の特許を、ベナードス(N.V.BENERDOS)とオルチェウスキ(S.OLSZEWSKI)の連名で、英国で取得する。*13
 また、同年にベナードスは単独で、ロシアに特許申請を提出し、1887年に認可されている。こちらの方法では、母材はマイナスで炭素棒をプラスにして溶接するとある。*19[露]

1885 変圧器の発明
 ウエスティング・ハウス社の技師スタンリー(WILLIAM STANLEY)が、変圧器を発明する。この変圧器は電流と電圧の変換はできるが、交流のみで直流はできない。*15[米]


1893 蒸気機関車の製作
 神戸の官営鉄道工場で、わが国ではじめて蒸気機関車を製作する。これが全て国産化されるのは1913年以後である。*20[日]

1894 アセチレン・ジャーナルの発刊
 国際アセチレン協会の機関誌として、月刊アセチレン・ジャーナル誌(ACETYLENE JOUNAL)が、シカゴで出版される。後に1916年から発行されたウエルディング・エンジニア誌(WELDING ENGINEER)と合併する。そして、1922年には米国溶接協会の機関誌となるウエルディング・ジャーナル誌(WELDING JOUNAL)に吸収される。*19[米]

1894 テルミット反応
 ボーチン(C.VAUTIN)が、粉にしたアルミと金属酸化物を混合し、これに点火すると、5,000゜F以上の高温になり、金属が溶融還元されて高純度になることを知る。*19

1895 X線の発見
 レントゲン(WILHELM RONTGEN)が、実験室内でクルックス管に高圧をかけると、光線以外の何らかの透過度性の高いものが出ることを発見し正体不明ということでX線と名付ける。*18[独]

1895 アセチレンランプ
 欧州各国でカーバイド工場ができ、アセチレンランプが自動車用、家庭用などに普及する。*13

1895 カーバイドの輸入
 この頃から、アセチレンランプがカーバイドと共に、はじめてわが国に輸入され、灯火用に使われる。[日]

1895 アセチレン炎
 シャンテリエ(LE CHANTELIER)が、アセチレンと酸素の混合ガス(1:1)の火焔が、高温を出すことを発見する。これにより、これまで光にのみ利用されていたアセチレンが、高熱による金属溶融への道を開くこととなる。*13[仏]

1897 プロジェクション溶接
 ロビンソン(ROBINSON)が一方の板に突起を付けて通電加圧して接合する、プロジェクション溶接法を発明する。*13[米]

1897 テルミット溶接
 ゴールドシュミット(H.GOLDSCHMIT)が、アルミニウムの微粉末と酸化鉄の混合物を開先内に入れ、点火剤を加えて接合するテルミット溶接法について特許を取る。これ以後、点火の問題が解決されたので、この方法は線や棒状の鉄をつなぐのに多く利用されることになる。*23[独]

1897 自動車の動向
 この年に蒸気自動車が輸入され、1900年にはガソリン自動車、続いてトラックが入ってくる。そして1903年になると、大阪での内国勧業博覧会の呼び物として、はじめて梅田−天王寺間でバス運転が行われる。*20[日]

*と数字のある参考文献は1990-文末にまとめて掲載しています。

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