溶接の歴史

1980年〜1990年

1980年(昭和55)から1990年(平成2)まで
 この期では、海外の動きに顕著なものは見られないが、わが国では、溶接ロボットの需要が高まり、年頭では「ロボット普及元年」と云われるほど急成長する。その一方で、鉄鋼大手三社では不況で従業員の一時休業を実施(1986)するなどのことが起こっている。この間一般の企業では、オフィス・オートメーション化が進み、生産部門でもCAD/CAM化が叫ばれる。
 1985年での溶接材料の生産量でみると、はじめて被覆棒をガスシールド・ワイヤが抜いている。
 同様に溶接機器の生産量においても交流アーク溶接機に対して標準自動アーク溶接機が追い越すことになる。この期の中頃からパルスやインバータ機が増え、小型のエアプラズマ切断機が爆発的な伸びを示すことになる。NCガス切断機も大型装置が中心で堅調に推移する。
 溶接ロボットについてはメーカがほぽ出揃い、5軸から6軸へ、そして教示法の簡略化やセンシング機能の充実などで、対象ワークを薄板小物から中板中物へと広げはじめている。
 また、後半では特にレーザ加工機が、新規加入メーカも増え実用化への道を確実に進むことになる。

1980 炭酸ガスアーク溶接
 通産省調べの生産量統計によると、標準自動アーク溶接機は4.7万台で史上最高となっている。同様に溶接捧工業会調べでは、炭酸ガスアーク溶接用ワイヤも7.8万トンで、これも最高となり溶接の自動化省力化の着実な進行を示している。*44[日]

1980 溶接技能者不足
 労働省調べによると、昨年度の溶接技能者不足数2.7万人を超え、本年は3.4万人の不足としている。これは二三年前の人員削減と、工事量の昨年比230%増が主因としている。*44[日]

1980 溶接ロボット
 油圧と電気制御の二種でアーク溶接ロボットが出はじめる。*42[日]

1980 造船設備削減
 運輸省の指導のもとに、造船各社が設備の35%減をはじめたこともあり、溶接協会の造船部会は船舶・鉄構海洋構造物部会と改名する。[日]

1981 国際ウエルディングショウ
 省資源・省エネルギーを主テーマに国際ウエルディングショウが束京晴海で開催される。[日]

1981 レーザ加工機
 大阪大学溶接工学研究所は、わが国最大の15KW炭酸ガスレーザ加工装置を開発し、公開実験を行う。*44[日]

1981 酸素プラズマ切断機
 小池酸素とミネベアが共同で、中板用で切断面に窒化層がなくヒュームの少ない酸素プラズマ切断機を開発、市販する。*44[日]

1981 「しんかい2000」竣工
 三菱重工業神戸造船所で、板圧65mmの90キロ級高張力鋼を使ったわが国ではじめての深海調査船「しんかい2000」が完成する。この箇所の溶接はティグ法で施工されている。*44[日]

1981 マイコン制御の溶接機
 この頃より、マイコンを組込んだ自動制御の半自動溶接機が、市販されるようになる。[日]

1981 炭酸ガスアーク溶接
 三菱長崎造船所はプロダクトキャリア船の建造に伴い、本格的にフラックス入りワイヤによる半自動炭酸ガスアーク溶接を採用し、他造船所での半自動化に影響を与える。*44[日]

1981 アルミ製車両
 新幹線にならい大型押出形材と溶接を組み合わせたアルミ合金製車両が山陽電鉄で採用され、以後通勤用、地下鉄用でアルミ合金製の構体構造が増える。*43[日]

1982 しゃ光保護具
 労働省は、最近の被覆棒から炭酸ガスアークへなどの溶接作業内客の変更に対応した「しゃ光保護具の使用について」(基発第733号)を通達する。*44[日]

1982 ロボット溶接研究委員会
 溶接協会内で、ロボット溶接研究委員会が技術・標準・普及の三分科会で発足する。[日]

1982 造船での溶接自動化率
 溶接協会の調査によると全国主要造船所16社のまとめとして、溶接の自動化率が平均で、はじめて33%台になったとしている。また炭酸ガスアーク溶接による半自動化率は15.5%としている。*44[日]

1983 インバータ溶接機
 軽量で応答速度が早く、アークスタート性のよい、インバータ制御のティグ溶接機が市販されるようになる。[日]

1983 溶接シリーズ技術書
 溶接の実際シリーズ(ステンレス鋼溶接の実際、構造用鋼材溶接の実際など4巻)が産報出版より刊行されはじめる。[日]

1983 ロボットでの災害防止
 ロボットの暴走や操作ミスでの事故があり、労働省が産業用ロボットによる災害防止対策を目的として労働安全衛生規則を改正する。[日]

1983 溶接作業指導者認定
 溶接協会は35才以上、JIS検定専門級12年以上の保有者を対象として、資格認定試験を行い、合格者には溶接作業指導者としての資格証を与える制度(WES 8107)を発足する。[日]

1984 溶接技術者の互認
 溶接協会が、ドイツ溶接協会(DVS)と「溶接技術者認定資格の相互認定に関する協定」を締結する。[日]

1985 ステンレス車両
 軽量ステンレス車体がJR向け電車に採用され、以後通勤用を主体にステンレス車両の構体構造が増える。*43[日]

1986 国際溶接学会
 1969年の京都大会に次いで、日本で二回目の国際溶接学会(IIW)が東京で開催される。国際研究集会の主テーマは電子ビーム溶接とレーザ溶接である。*24[日]

1986 阪大溶接工学科
 この年の入学生の卒業時である1991年を最後に大阪大学工学部溶接工学科は46年の歴史を閉じ、生産加工工学科としてスタートすることになる。*44[日]

1986 構造実験センタ
 大阪工業大学が京都府八幡市に西日本では最大規模の構造実験センタを開所する。*44[日]

1987 溶接作業者減少
 総理府統計局の国勢調査によると、この10年間で金属加工作業者は210.1方人から201.1万人(4.3%減)に、溶接作業者は46.1万人から33.5万人(27.3%減)となる。溶接での高減少率はロボットの導人や自動化の影響かとしている。*44[日]

1987 韓国でのウエルディングショー
 大韓溶接学会、韓国溶接工業組合主催の第一回国際ウエルディングショーがソウル市で開催される。この時の国別での出品社数比率は、韓国25%、欧米25%、日本50%である。*44[日]

1988 日高工場閉鎖
 被覆棒のB-17などで知られていた神戸製鋼日高工場が、経営合理化計画に従い1943年からの45年に及ぶ歴史を閉じる。その間での溶接材料の累計生産量は88万トンである。*44[日]

1988 「しんかい6500」竣工
 わが国の深海調査船プロジェクトが深度6,500米の「しんかい6500」を三菱重工業神戸造船所で完成させる。球殻は極厚板チタン合金製で電子ビームを多用して製作する。*44[日]

*と数字のある参考文献は1990-文末にまとめて掲載しています。

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