溶接の歴史

1970年〜1980年

1970年(昭和45)から1980年(昭和55)まで
 この期の前半はまだしも、中頃に産油国が10%の生産制限を行ったことで石油価格が暴騰する。このオイル・ショックで世界中が経済的に困難な低成長期に入ることになる。このため、産業界一般では多量生産から多種少量生産への切り替えが起こり、シンクタンクがもてはやされたりで、多様化を模索する時期となる。
 溶接においても、大型専用装置に替わり省エネルギーで、変化への融通力の高い簡易型での自動機や、可搬性の良い半自動機の導入が拡大されることになる。

1970 筑波学園都市
 議員立法で、研究での設備改善や集中化による効率、共同利用などをねらい、筑波学園研究都市建設法が制定される。[日]

1970 高張カ鋼の採用
 この頃造船では、タンカーの大型化が進み、50キロ級高張力鋼の適用が拡大されるが、溶接による熱影響部のぜい化が問題となる。このため、ぜい化軽減を目的とした大入熱用50キロ級高張力鋼が開発される。*22[日]

1970 LNG火力発電所稼働
 東京電力で、世界ではじめての液化天然ガスを使った火力発電所が稼働する。[日]

1970 簡易型溶接装置
 サブマージアーク法での簡易型水平すみ肉溶接機が日鉄溶接工業から、炭酸ガスアーク溶接による立向すみ肉溶接機が神戸製鋼から市販され、可搬式自動機での溶接適用が増える。[日]

1970 溶接技術センターの設立
 財団法人日本溶接技術センターが川崎市に設立される。*32[日]

1970 被覆での着色剤の禁止
 ライムチタニア系被覆アーク溶接棒に使われていた着色剤ローザミンレッドによる河川の汚染問題が起こり、翌年から同着色剤使用の溶接棒の生産が中止となる。*25[日]

1971 ボイラ溶接士コンクール
 ボイラ協会主催の第一回全日本ボイラ溶接士コンクールが開催される。*32[日]

1971 国際シンポジューム開催
 溶接構造物の割れ防止をテーマに、溶接学会による第一回国際シンポジュームが東京で開催される。*32[日]

1972 山陽新幹線の開通
 1964年に開通した東海道新幹線が岡山まで延長される。そして、3年後にはこれが博多まで延ぴる。この時期のレール溶接では、テルミット法は施工箇所での損傷の多発やレールの60キロ化などで新幹線では消えることになる。[日]

1972 溶接技術者認定試験
 溶接協会による溶接技術者資格認定試験が開始される。第一回の受験者は一級799名、二級586名である。*32[日]

1972 超大型タンカー進水
 「グローブティク・トーキョウ」排水量47.6万トンの世界最大のタンカーが進水する。[日]

1973 ニクソン・ショック
 エネルギー危機が全世界を覆い、アラブ諸国によろ石油禁輸が事態を悪化させ、米大統領がエネルギーの節約を強く訴える。[米]

1973 溶接棒の自動包装
 従来から人手で行っていた被覆溶接棒の箱詰め作業を自動包装化するための検討委買会が日本溶接協会溶接棒部会にできる*25[日]

1973 日本溶接棒工業会発足
 日本溶接協会溶接棒部会員の全社が参加して日本溶接棒工業会が設立される。これにより、溶接棒部会での一部作業が工業会に移管される。*25[日]

1973 溶接棒の生産量増加
 溶接棒の需要が、約20年前の1954年に年産3万トンであったものが、この年には年産50万トンまでに増大する。*25[日]

1973 電子ビーム溶接研究会
 日本溶接協会が電子ビーム溶接装置開発研究委員会を設置する。[日]

1974 港大橋の完成
 片待ち梁橋としては世界第三位(全長510M)の大阪港大橋が完成する。80キロ級の高張力鋼が多く使われ、技術的に本四架橋の前哨戦の役割をする。次いでトラス式で世界第四位(全長300M)の長崎黒之瀬戸大橋も完成する。[日]

1975 被覆溶接棒
 溶接ヒュームの発生量の少ない溶接棒が開発されはじめる。*42[日]

1975 造船での溶接
 この頃より造船所での炭酸ガスアーク溶接の適用が広がりはじめる。*22[日]

1975 自動溶接装置
 三菱重工業神戸造船所で、枠内の四周を連続して自動ミグ溶接する「升目水平すみ肉溶接装置」を開発し、大型構造物への溶接ロボット化の道を開く。*22[日]

1975 軽金属溶接構造協会の発足
 社団法人軽金属溶接構造協会が発足する。*32[日]

1975 原子カ発電の稼働率低下
 原発稼働率が、配管の減肉、応力腐食、割れなどで最低の40%に落ち込む。以後、これらを新材質の採用、溶接法の改善、冷却水の水質管理などで乗り切る。*40[日]

1976 サイリスタ型溶接機
 この頃より、シリコン制御整流素子を使った、サイリスタ型マグ溶接機が市販されるようになる。[日]

1977 溶接棒工業会会報の発行
 日本溶接棒工業会が月次生産統計資料、月次輸出統計資料を掲載した会報の発行をはじめる。[日]

1977 LNG船
 アルミ球型タンク構造によるわが国ではじめてのLGN船(128,600立方メートル)が、川崎重工業で起工する。*22[日]

1977 爆接材を使った構造物
 自衛艦の上部構造に軽量化のためアルミ合金が採用され、このため鋼製の船体との接合に爆接による複合材が適用されることになる。同種のことがLNG船でも採用される。[日]

1978 船舶受注量
 ロイド船級協会が、1977年の世界新造船受注残高(3,672万総トン)は、過去10年間で最低と発表する。日本は前年度比25%マイナスと急減する。[英]

1978 溶接シリーズ技術書
 溶接全書(溶接金属学、溶接構造物の設計と基礎など20巻)が産報出版より刊行されはじめる。[日]

1978 溶接コンクール競技種目変更
 溶接協会主催の全国溶接技術競技会で、本年からガス溶接が廃止され、新たに炭酸ガスアーク半自動溶接が加わる。*32[日]

1979 溶接技術資格者数
 溶接協会が1972年より行っていた、溶接技術者資格認定試験の合格者数が一万人を突破する。*32[日]

1979 造船溶接作業者の減少
 造船不況にともない、造船界での溶接作業者がこの一年間で21.7%減少し、主要38造船所の総計では一万人を割ることになる。*32[日]

1979 マスクの着用
 粉じん障害防止規則が制定され、溶接作業者は屋内での溶接作業で防じんマスクの着用が義務ずけられる。*41[日]

*と数字のある参考文献は1990-文末にまとめて掲載しています。

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