溶接の歴史

1960年〜1965年

1960年(昭和35)から1965年(昭和40)まで
 この期の海外では、米国でレーザ加工機の原型が姿を表し、実構造物では、原子力空母(米)や低温液化ガス容器を持ったLNGタンカー(英)が登場している。
 一方、国内は原子力発電にはじめて成功し、基礎研究の重要さなどから企業での中央研究所ブーム起こり、材料や溶接の研究が活性化されることになる。
 構造用鋼では、80キロ級高張力鋼や大入熱溶接の可能な鋼が顔を出し、溶接については造船などでの構造物の巨大化に伴い片面自動溶接、立向自動などの専用装置を使っての溶接自動化への機運が盛り上がってくる。
 また、重機械部門では極厚板を念頭に置いたエレクトロスラグ機の導入が行われ、薄抜部門では炭酸ガスアーク溶接の適用が自動車部門などではじまることになる。

1960 レーザ公開
 ヒューズ研究所の物理学者マイマン(H.T. MAIMAN)が、ルビーの円筒にエネルギーを与えると、広がることのない赤い高温光線を放射するレーザの実演をする。しかし、その3年前にレーザの基本概念とレーザと云う用語(LASER:LIGHT AMPLIFICATION BY STIMULATED EMISSION OF RADIATION)はコロンビア大学のG.グルードが提案していた。これがレーザ溶接として日本に技術導入されたのは1964年である。*1*13*21[米]

1960 80キロ級高張カ鋼
 日本の各製鋼所より80キロ級高張力鋼が市販されるようになる。*20[日]

1960 アルゴンアーク溶接機
 ケーブラッシュ商会が、ドイツのグリスハイム社のアルゴンアーク溶接機を原子力研究所などに納入する。*20[日]

1960 エレクトロスラグ溶接機
 愛知産業が、ベルギーアーコス社のバートマチック溶接機(エレクトロスラグ機)を東京芝浦電気鶴見と日立製作呉の工場にはじめて納入する。*20[日]

1960 被覆溶接棒
 再アーク性が良く、全姿勢で下進法にも使える、仮付け溶接専用の溶接棒が出はじめる。*22[日]

1960 サブマージアーク溶接用フラックス
 衝撃値の高いボンド型フラックスが開発され、軟鋼や各種高張力鋼用として、既存の溶融型フラックスと並行して市販されるようになる。*20[日]

1960 マグ溶接
 炭酸ガスと酸素との混合ガスを使う、炭関アーク法に特許がおり、関連機材が市販される。[日]

1960 電子ビーム溶接機
 日本電子光学製の国産第一号である電子ビーム溶接機が、金属材料研究所に納入され、ジルコニウムなどの溶接研究に使われはじめる。*20[日]

1960 LNGタンカー
 アルミ合金製容器を持つコンチ型天然ガス運搬船(METHANE PIONEER号)が、ハーランド・ウルフ造船所で竣工する。[英]

1960 ガス・タンカー
 わが国はじめての常温加圧型のLPG船「第1えるぴい丸」(1,040総トン)が竣工する。[日]

1960 高張力鋼溶接橋
 芦有有料道路(兵庫県)の平野橋、首都高速道路一号線に、60キロ級高張力鋼での合成桁が架けられる。*20[日]

1960 高張カ鋼ビル
 建築基準法が改訂されたことなどもあり、東京中央区の伊藤忠商事ビルの増改築工事において、はじめて高張力鋼(SM50B)を使った溶接構造が採用される。*20[日]

1960 原子力空母の建造
 世界ではじめての原子力航空母艦「エンタープライズ」(85,350排水トン)が進水する。[米]

1960 橋のスタッド溶接
 鋼桁とコンクリート床板とを合成するジベルへの、スタッド溶接の適用試験が行われ、翌年に豊川橋(東京都)に採用される。*20[日]

1960 ケーブルカーの溶接
 谷川岳ロープウェーのゴンドラの外板にステンレス鋼が使われ、ティグスポット溶接が多用される。*20[日]

1960 船体の巨大化工事
 三菱重工業横浜造船所で船体を二分割して船の長さと高さを増加させる、船体を巨大化する溶接工事がタンカー「TIMBO」で成功する。[日]

1960 自動車の溶接
 自動車部品の溶接に炭酸ガスアーク溶接が使われはじめる。当時のビードは被覆棒に比べると相当見劣りしたが、安価で手軽に使えるのが特徴だったとされている。*20[日]

1960 労働安全衛生規定の改定
 この時の改定で、アーク溶接での絶縁ホルダの使用、感電防止器の規制などが迫加され、数多くあったホルダの種類が急速に統一されるようになる。[日]

1960 非破壊検査展
 「非破壊検査と溶接の総合展」が東京晴梅の貿易センターで開催される。1962年からは検査独自の「非破壊検査機器展」となる。*32[日]

1961 ボンドフラックスの適用
 この頃より、衝撃値不足でサブマージアーク溶接の適用が許されなかった、船体最重要構造のバット継手が、ボンドフラックスを使うことで可能となり、造船での自動溶接の適用が拡大されるようになる。[日]

1961 炭酸ガス・ワイヤ
 炭酸ガスアーク溶接用フラックス入りワイヤが国産化され、市販がはじまる。*30[日]

1961 商船での鋼材溶接
 この頃より、商船に50キロ級高張力鋼や、クラック・アレスターとしてのE級鋼が採用されはじめる。*22[日]

1961 大型低温容器
 三菱重工業横浜造船所で、世界初の冷凍式大型LPGタンカー「ブリジストン丸」が竣工する。石川島播磨重工業は、これの受け入れ基地の陸上タンクを、これもわが国ではじめて完成させる。これにより、低温鋼の溶接が本格化する。*22[日]

1961 ウエルディングショー
 日本溶接協会主催で第一回ジヤパンウエルディングショーが開催(9/22-26)される。*32[日]

1961 アルミ合金橋
 わが国はじめての溶接構造のアルミ合金製の永久橋「金慶橋」が完成する。[日]

1961 大板の片面溶接
 三菱重工業長崎造船所で船体平板の大板へ銅板を使った片面自動溶接を適用する。これが、二三年後に拡大する大板片面自動溶接時代の幕開けとなる。*22[日]

1961 高周波抵抗溶接装置
 伊藤忠が米国ニュ・ロチェル・サマーツール社の総代理店となり、高周波抵抗溶接装置を輸入し、日本鋼管、東洋鋼管、松下電工、東芝鋼管などに納入する。*20[日]

1961 ボイラ圧カ容器安全協会
 社団法人ボイラ圧力容器安全協会が労働省から認可される。そして、1963年に溶接技術専門委員会を設置し、はじめてのボイラ溶接士溶接技術競技会を開催する。*37[日]

1962 国産原子炉
 原子力研究所で国産一号原子炉に「原子の火」をともす。[日]

1962 切断にプロパンガス
 切断用の予熱ガスのアセチレンに対して、安価なプロパンガスを使った場合での切断評価を、溶接協会の部会が行う。*25[日]

1962 電車の溶接
 米国ブット社と技術提携した東急車輌がオールステンレス・カーを製作する。[日]

1962 世界最大のタンカー建造
 当時世界最大のタンカー「日章丸」(130,000重量トン)が進水する。

1962 施工要領書
 日本溶接協会造船部会が、船殻溶接の一つの指針となる「船体溶接施工上の二三の問題点」を機関誌に公表する。[日]

1962 溶接50年史刊行
 溶接協会が中心となり、溶接がわが国にはじめて導入された時期からして、この年に溶接50年記念式典を催する。そして同時に「溶接50年史」が刊行される。[日]

1963 爆発圧接法
 爆発圧接法が、ホルツマン、コーワンにより実用化される。これが日本に技術導入されたのは翌年である。*13[日]

1963 溶接講座
 京都大学工学部金属加工学教室の第6講座に、溶接工学講座が設けられる。*20[日]

1963 立向下進溶接棒
 これまでセルローズ系棒で行われていた立向下進溶接法を、神戸製鋼が低水素系棒で開発し、それまで割れの出易すかった欠点を除く。*22[日]

1963 溶接シリーズ技術書
 溶接技術講座(溶接施工法一般、溶接冶金、鉄鋼の溶接など12巻)が日刊工業新間より出版される。[日]

1963 高圧ガス保安協会
 社団法人高圧ガス保安協会が通産省から認可される。*38[日]

1963 フユーム対策
 日本労働組合総評議会が低水素棒によるふっ素の害を問題にしはじめたため、造船工業会の依頼で、溶接協会が中心となり低水素障害対策委員会をつくる。*43[日]

1964 阪大溶接工学研究所
 日本学術会議が、工学系ではじめての総合的研究の推進を目的とした共同利用研究機関としての大阪大学溶接工学研究所の設立を政府に勧告する。これが具体的に発足するのは1972年で、初代所長に木原博が就任する。*31[日]

1964 東海道新幹練開通
 東京−大阪間が390分より190分に短縮されことになる東海道新幹線が開業する。これに使用された長尺レールの接合では、継ぎ目8万点の内、5万点をガス圧接で、1.5方点をテルミットで行ない、途中からエンクローズアーク溶接法が新たに加わり、競合することになる。[日]

1964 新鋭造船所の稼働
 大型船を合理的に建造できる新型造船所のとして、石川島播磨重工業横浜第二工場が稼働する。これを契機に、造船各社で新鋭造船所の建設ラッシュが起こる。*22[日]

1964 溶接基準
 日本溶接協会造船部会より、船体溶接検査の指針となる「船体外観の定量的検査ならびに管理基準」が機関誌に公表される。*22[日]

1964 摩擦圧接協会
 金属材料研究所で摩擦圧接協会が設立総会を開催する。初代会長には仲威雄が選ばれる。*36[日]

1964 片面自動溶接装置
 サブマージアーク溶接法でのFCB、RFなどの片面自動溶接が、造船各社での大板継ぎに、大型専用溶接装置として相次いで導入されるようになる。*42[日]

1965年(昭和40)から1970年(昭和45)まで
 この期中頃の中東戦争で、スエズ運河の通行をあきらめた海運各社は、巨大タンカーの建造に走ったため第三次造船ブームが起こり、構造物の巨大化、生産ラインのコンベア化、それにNC加工が進みガス切断部門での適用が活発となる。
 溶接関係については、海外では電子ビーム溶接機が、国内ではパルスアーク機、消耗ノズル式エレクトロスラグ機、バンドアークによる肉盛溶接機、それにノンガス機などが登場する。

1965 原子力発電開始
 日本原子力発電の東海発電所がわが国はじめての原子力による営業運転を行う。続いて、1970年に敦賀発電所、美浜発電所が、その翌年には福島発電所も操業をはじめる。*39[日]

1965 巨大船の答申
 造船技術審議会が「巨大船建造上の技術的問題点およぴその対策如何について」を運輪大臣に答申する。[日]

1965 自動溶接の競合
 川崎重工業で船側外板へのエレクトロスラグ溶接の適用をはじめる。これを契機に造船各社で、エレクトロガス、CES、横向自動、曲がり外板の片両溶接などの溶接自動化の競合が進む。*22[日]

1965 ガス溶断機部会発足
 別組織のガス溶断機協会が解散し、その一部を吸収して工作法の研究、輸出振興などを目的として日本溶接協会ガス溶断機部会が発足する。*25[日]

1965 NCガス切断機
 この頃より数値制御ガス切断機を、ブリティシュ・オキシジェン(英)、エア・リキッド(仏)、メッサーグリスハイム(独)、ユニオンカーバイド(米)などが開発し、各国に輸出をはじめる。*25[欧米]

1966 標準船の多量建造
 この頃よりかっての米国戦時標準貨物船リバティの代替えとして、連続量産方式による標準船型(フリーダム、ホーチュンなど)での受注がはじまる。[日]

1966 巨大タンカーの竣工
 当時世界最大のタンカー「出光丸」(21万DWT)が石川島播磨重工業横浜第二工場で竣工する。*22[日]

1966 アルミ製電車
 301型全アルミ国鉄通勤電車が全ミグ溶接で施工される。*35[日]

1966 溶接シリーズ技術書
 溶接技術シリーズ(中・厚板軟鋼溶接のかんどころ、アルミニウム溶接のかんどころなど8巻)が産報より出版されはじめる。[日]

1967 海上での溶接工法
 分割した船体を海上接合するはじめての工法を、三菱重工業横浜が「OLIMPIC RUNNER」の船体増深延長工事に適用する。[日]

1967 溶接シリーズ技術書
 やさしい溶接シリーズ(やさしいろう付けなど14巻)が産報より出版されはじめる。[日]

1968 NC制御ガス切断機
 日立造船因島で、NC制御のロガトーム自動ガス切断機が設置され、造船の内構部材の切断に適用される。*34[日]

1968 球形タンク事故
 LPガス球形貯槽タンクの耐圧試験中に破裂する事故が山口県、千葉県で発生する。*38[日]

1969 大型船の破損
 大型鉱石運搬船「ぼりばあ丸」が野島崎沖で台風に巻き込まれ船体が割れ沈没する。翌牛にも同沖でやはり大型鉱石運搬船「かりほるにあ丸」が沈没する。溶按部も関係かとされるが共に原因は明らかでない。[日]

1969 国際溶接学会
 わが国ではじめての国際溶接学会(IIW)が、京都国際会館で開催される。950名の参加でアジア諸国での国際溶接学会への開心が高まることになる。*24[日]

1969 省カ化の研究
 造船技術審議会研究部会の2年間共同研究テーマとして“造船所における省力化に関する調査研究”が実施される。[日]

1969 プラズマ切断機
 国産ではじめての移行式プラズマ切断装置を日立製作が開発する。[日]

1969 ウエルディングショー
 日本溶接協会主催の第一回国際ウエルディングショーが、東京国際貿易センターで開催(7/18-24)される。*32[日]

1969 国際圧接シンポジューム
 第一回国際摩擦圧接シンポジュームが、海外7ヶ国からの参加者を得て開催される。*36[日]

*と数字のある参考文献は1990-文末にまとめて掲載しています。

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